「さまよう刃」
をギンレイにて。
この作品。
東野圭吾が原作とあり、おそらく東野圭吾作品(読んだことがないので以下は憶測)として、第三者の視点から当事者の心情を浮き彫りにしてゆく手法なのだろう。
だからこそ、揺らぎを垣間見る場面、余白がある。
無粋だが、重松清さんなら、当事者の視点からどのようにこの事件を描いただろう、かと想像してしまう。
おそらく、重松さんも当事者の視点は選ばないのだろう、と思いながら。
事件とは、子、とくに娘を持つ親にはとても苦しい事件である。
父娘ふたりきりのささやかだが幸せな日々に、突如悲劇が訪れる。
友人らと別れ、
「もうすぐ家に着くね、晩ご飯? うん、食べる」
と電話をしたそれが、娘の最期の言葉だった。
電話の直後、若者らに車で拉致され、やがて荒川で傷だらけの遺体となって、発見される。
「犯人は……」
被害者の父である長峰の電話に、密告が入る。 密告に従い、犯人の若者を追いかけ、追い詰め、復讐を果たそうとしてゆく。
娘が、暴行され、薬を打たれ、それをビデオで録画され、
「お〜い、いっちゃったのぉ!?」 「よすぎたのぉ〜?」 「うっひゃひゃひゃぁっ」 「おい、やべんじゃね?」 「動かなきゃあ、捨ててくればいいべ?」
そんな会話が、軽い調子の無責任な声で、録音されている。
それを、観てしまう。
復讐の炎は、消せない。
しかも、被害者は娘ひとりではなかった。
犯人であるはずの無責任な未成年を、被害者の父の殺人犯から守り、保護しなければならない警察。
竹野内豊が、刑事を好演する。
長峰の復讐をとめようと、ペンションを父娘ふたりきりで経営する娘が、説得しようとする。
「亡くなった娘さんは、お父さんの未来を奪うようなことは、望んでいないと思います」
これを聞いた瞬間、僭越ながらわたしは、鼻で笑ってしまいそうになった。
間違っている。
言ってることは間違いではない。 が。 言うことが間違っている。
娘のために復讐するわけではない。 己のために、復讐するのである。 それに、娘を失った時点で、己の未来など、これっぽっちも残されては、いや、ありはしないのである。
さすが本作品。
それを絶妙のタイミングで、答えるのである。
ペンションの父のほうが、長峰の真実の気持ちに、答えるのである。
それはきっと正しく、しかし、間違っているのかもしれない。
あなたは、誰が、どれが、正しいと思うのか。
なかなか、じわりと、深く、染み入ってこさせられる作品である。
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