「グラン・トリノ」
をギンレイにて。
クリント・イーストウッドの、これまた素晴らしい作品である。
アメリカの頑固で堅物な親父をイーストウッドが演じる。 これがまさに、
ひねくれ者
のいい味をだしているのである。
隣家に引っ越してきたモン族の一家を、イエローと差別的な目で厭っていた。
それだけではない。
イタリア系の馴染みの床屋の友人はイタリアのイカレ○○やら、とかく口が悪いのである。
しかし、堅物で口が悪かろうが、それこそ魅力としてしまうのである。
話を戻そう。
朝鮮戦争で生き残り、帰還したウォルトは、それで「英雄」と勲章をもらっていた。
しかしそれは、彼にとって、
赦されない罪
として、深く生涯にわたって残されていた。 老妻が亡くなり、ひとりきりになった彼は、息子らの誘いも断り、家に残り続ける。
息子はトヨタの販売会社で働いており、ウォルトは、フォードの工場工であった。
「米食い人種のケツもち」
と、これまた口悪いこと然りだが、技術者としての誇り、愛着心である。
そんな彼が生涯大事にしている名車「グラン・トリノ」を、隣家の息子タオが、盗もうとするのである。
ウォルトがそれに気づき阻止するが、タオがその盗みを、同族の恥さらしとされているチンピラたちから強要されたことを知るのである。
タオの姉であるスーが、ウォルトに弟の罪を詫び、償いとしてタオを好きに働かせてくれ、と訪ねてくる。
やむなく引き受け、ウォルトとタオの奇妙な組合せができあがり、そしてスーも、さらにモン族の一族とまで、つきあいがはじまってゆくのである。
タオをトロ助、腰抜け、意気地なしと不甲斐なく見ていたウォルトの手伝いをはじめ、やがてタオが徐々にだが男らしさを磨くよう、ウォルトが教育しだすのである。
それがまた、愉快なのである。
イーストウッドがやるからこそ様になるのを、まだ少年のタオがそれをそのままやろうとする姿は、なかなか滑稽かつ微笑ましい光景である。
さてタオに悪いちょっかいを出してくる同族のチンピラに、ウォルトが、ついに一発をお見舞いしてしまうのである。
二度とタオにちょっかい出すんじゃない。
しかし、それが悲劇を呼んでしまったのである。
ウォルトの家ではなく、タオの家を、夜中にマシンガンで襲い、
そして。
スーをさらい、親戚であるはずの彼女を、乱暴して、ボロボロのまま帰すのである。
自らの行為が招いてしまった、やさしき隣人たちに対する不幸。 タオは復讐にいきり立つ。
が。
ウォルトは、「一度頭を冷やして、それからだ」とタオをしずめる。
そして夕方。
タオに見せたいものがある、と地下室に呼び、朝鮮戦争でもらった勲章を取り出し、タオの胸につける。
「お前と同じくらいの少年を、命令でもないのに撃ち殺してしまった」
生きるためなら仕方ない、とのタオを制する。
お前にはわからない。 わからなくていい。
ウォルトは、タオを地下室に閉じ込め、ひとりで連中の家に向かうのである。
身内の恥、ましてスーには酷な証言をさせねばならない、とだんまりを決め込んでいる一家に、警察も手を出すことはできないのである。
ウォルトは、復讐を果たすのか。
作中のウォルトをはじめ、台詞のそれぞれが、とても味わい深いのである。
亡くなったウォルトの老妻に頼まれたというカトリックの若い神父とのやりとりも、深い。
生と死をわかったつもりで、新人神父マニュアルにある通りしゃべってるだけだ。 本当の死を、お前は知らない。 俺は目の前で散々みてきた。
奇麗事じゃあないことに、神父もうなずかざるを得ないのである。
しかし、立場上それでも奇麗事である生と死を説かねばならないのである。
堅物だが生真面目な若い彼と、堅物で頑固者なウォルトの、ふたりの距離感が微妙に近づいてくるところにも、さすが憎い演出が施されてある。
なかなか、やはり、クリント・イーストウッドの作品は、侮れないのである。
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