金原ひとみ著「ハイドラ」
金原ひとみは、やはり、スゴい。
好き嫌いは、はっきりと、分かれる。 エロ、グロ、それらの精神世界的な描写。
違う。 逆、である。
精神世界を、エログロに直接的に投影させるからこそ、見るものは嫌悪感や背徳感によって、目を背けるか、あるいは目が離せなくなるのである。
しかし本作は、そんな描写が、まったくといってよいくらいに、ないのである。
とりわけ売れてはいないモデルのサキは、人気カメラマンの新崎と同棲し、彼のために、そんな自分のために、物を食べては飲み込まず、そのまま吐き出す拒食症によって体重三十五キロの体型をこそ、新崎と自分をつなぎ止めるものと信じる。
新崎はやがて失ってゆく姿をこそ求めているのだと。
新崎への奴隷的な関係。 しかしそれは自ら従っているものであり、新崎は決して口にしたり求めたりはしていない。
しかし、まるで正反対ともみえる松木というインディーズのミュージシャンと出会う。
真っ直ぐに、サキを求め、思う松木。
松木と新崎の間で、サキは自分のアイデンティティ、存在意義、それらのある場所、在り方を確かめる。
どこかの本作品のレビューに、
「ネガティブの強さ、 ポジティブの儚さ」
と評されていたのである。
なるほど。 名文である。
儚いからこそ、ひとは強く求める。 強いからこそ、ひとは安堵を得る。
愛と絆と存在を、今までとは違う形で確かめたいならば、ご一読いただきたい。
……東京ドームでB'zのライブがあった。
ぞろぞろと満たされた人々が、小雨のなかを早足で、それこそ、今の熱い気持ちを雨などで冷まさせたくない、と駅へと流れてゆく。
わたしは彼らの決して邪魔にならぬよう、気に障らぬよう、広げた傘をすぼめる思いで、白く巨大な卵の殻の脇をすり抜けてゆく。
歩道橋を渡り、見上げると、巨大な肋骨がすべてきれいに抜け落ちた背骨が、寂しげに、無言で横たわっていた。
さらにその上を、赤いネオンの大輪の花が、寒さに面倒くさそうに、ゆっくりと緩慢な動きで花弁をゆらしている。
その花弁に、心と体が火照った、または凍えを癒やそうと乗り込んでゆく男女の姿が、見える。
緩慢に、諦観の態で花弁の輪は、濃い灰色の空の頂上へと彼らを運んでゆく。
わたしは背を向け、交差点へと階段をおりてゆく。 肩をそびやかし、はああ、と白い息を吐き出したとき、火花が、わたしの横を飛び散りながら追い越していった。
流れ星のように、白く純粋な、温度のない、優しさと神聖さのかけらなんかじゃない。
熱く燃える、赤い、命を削る激しさと儚さのかけら。
ゴツン。
およそ嘲笑うかのような、鈍い音。
停車中の緑のタクシーの点滅しているテールランプのオレンジ色の中に、黒いヘルメット姿が、遮る。
灰色帯びた薄い湯気が、小さな蒸気船のような小気味よいエンジン音とともに、もやもやと蒸発してゆく。
車体と道路に挟まれていた原付バイクの胴体を、降りてきたタクシーの運転手が引っ張り出す。
別のタクシーの運転手が降りてきて、左腕を肩ごと抱えるようにしてガードレールにうずくまるヘルメット姿に、歩み寄る。
信号待ちしていた歩行者たちは、青に変わると途端に目をそらし、横断歩道を渡ってゆく。
運転手が携帯電話を取り出す。
わたしが背を向けて坂を上りだしたとき、その先の大学病院からだろう救急車が、わたしが吐く息よりも真っ白な車体に、鮮血より鮮やかな赤い光を瞬かせながら、通り過ぎていった。
すべての当事者、目撃者よりも、真摯で、切迫したその姿が、まさに現実の構図をあらわしていた。
わたしは冷たいまま、爪先にだけ、最低限の力を入れて、坂をのぼってゆく。
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