「隙 間」

2010年03月01日(月) 「おとうと」に、おっとっと

今日は何の日か。
毎月一日の、「映画サービスデー」である。

千円で観られるこの機会を、久しぶりに得てみたのである。

仕事帰りの手頃なところ。

なんせ帰り道に、銀座有楽町を通り抜けるのだから、映画館に事欠くことはないのである。

しかし、そこはさすがである。
とにかく、混む。
それは目に見えているのである。

それよりも、作品、である。

ハリウッドの甘木有名作品などは、わたしが寄る術もない天の邪鬼であるから、選ぶはずがない。

しかし、手頃な作品が、なかなか、ない。

七時以降の上映作品、混雑具合などなどを鑑みて、我が地元上野を選んだのである。

なかなか穴場で、混雑している姿を、あまり見たことがない。

しかし、作品はなかなかのものをかけていたりするのである。

そこで。

「おとうと」

を上野東急にて。

主演吉永小百合、笑福亭鶴瓶、蒼井優、加瀬亮ら、そして監督は山田洋次である。

吉永小百合は、たいへん結構である。
年上の方であるならば、むしろ好ましく望ましい方である。

しかしやはり、わたしのお目当ては、蒼井優である。

最初の、

「お母さん、長い間お世話になりました」

の台詞を聞いたときには、許されるならば「卒業」よろしく、花嫁姿の彼女を奪いにゆくか、泣きむせぶ叔父役の小林稔侍の傍らで、鼻水垂らし、嗚咽どころでなく、全身を震わせてしまうところである。

バツがついて帰ってきたとき、加瀬亮と一緒に、

「やったあ!」

と手を挙げてしまったところである。

さてさて、そんなうすらとんかちのこんこんちきなことは置いといて。

たまには真面目なことを話そう。

山田洋次作品は、どうにもほめそやす気持ちになれないのである。

物語やらは、よいと思うのである。

玄関で靴を脱ぐときに、隣の加瀬亮に、つと自然によろめいて腕を掴もうとする描写は、ふたりの見えない繋がりを暗示していたり、なかなか乙な演出が、そこかしこにある。

が。

台詞や言い回しが、どうにも、よろしいとは思えないのである。

「日本語を大切にしている」

との物言いはあるが、そんなことではない。

台詞のすべてが、役者の肉声に聞こえなくなる瞬間が、あるのである。

「〜だけれども」
「〜するわね」
「〜したわ」

まるきり、「小説」ならではの言葉遣いを、そのまま台詞としてはっきり読ませているのである。

であるから、ややもすると、言葉に「体温」や「臭い」を感じないのである。

人物が言葉を喋っているのではなく。

人物が台詞を読み上げている。

ように、聞こえてしまうのである。

勿論、これらはわたし個人の感じ方であり、他者もそうであるかというと、必ずしもそうではないのかもしれない。

役者が役を演じている感が、どうしてもわたしは好ましいとは思えないのである。

役者は役を演じるのではなく、役になりきり、役を感じさせない。

それをこそ好ましいと、じつはそれがどういうことなのかわかっていないくせに、そう思ってしまうのである。


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