| 2010年01月31日(日) |
「ドゥーニャとデイジー」 |
「ドゥーニャとデイジー」
をギンレイにて。
アムステルダムの厳格なイスラム教徒の家に生まれたモロッコ人ドゥーニャと、生粋のアムステルダム人のデイジーは、性格は正反対だが大親友。
ドゥーニャは十八歳になり、親の決めたはとことの結婚のためにモロッコへ帰ることになる。
そこへ突然、イスラム教徒とは無縁なデイジーがなぜか訪れてきて、本当の父親を探すのを手伝って、という。
母と自分を捨てて去っていった父を探すデイジーに付き合ううち、ドゥーニャは、自分たちの祖先が生まれた地に導かれる。
お互いの、自分のルーツを求める旅のはてに、ふたりは大切な何かを手にすることができるのだろうか。
この作品。 内容がどうこういうよりも、ドゥーニャが、素敵です。
タレントのベッキーに、イングリッド・バーグマンを足したような、とても凛々しく綺麗で幼さもほんのり漂わせ、もしも出会ってしまったら、その瞬間に惚れてしまうでしょう。
さて。
どうもこの頃、出鼻をくじかれてばかりいる。
指先がチリチリと痺れたままなのは依然治まらず、ひどいようでしたら脳神経科で診てもらってください、と先の健康診断で医者にいわれ、やはりそっちか、と予想していた通りであり。
とにかく自分のなかで自分が浮ついている感覚が続いているのはわかっており、毎夜切れ時にきれいに落ちているのだから、いい加減、わかっている。
それで、ことごとくの出鼻をくじかれている。
赤札堂で、おや一個五円の小振りなジャガイモが売られている、とタイムセールに嬉々として袋に詰め込み、はてどこかでジャガイモを買ったような記憶があるが、と逡巡し、先々週あたりのものだろうと、台所の開きを開ける。
なんか用か?
ででん、と立派なジャガイモたちが、腕組みあぐらをかいてこちらをにらみ返す。
古株のご機嫌を損ねぬよう、新参者たちをそそと脇に詰め込み、ぱたりと閉める。
記憶の整理がおっつかなくなっている。
恩田陸作品の常野一族ではないが、自身の
虫干し
が必要なようだ。
引き出しの中身がガチャガチャと浮ついて落ち着かないのだから、それをいったん出して、空にする。
そううまくゆくやり方など、じつはない。
日中以外を、とかくタガを外しておくくらいしか見当たらない。
締めて。 緩めて。
委ねて。
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