| 2010年01月25日(月) |
「台所のおと」と夫婦 |
幸田文著「台所のおと」
ふと気づくと、部屋の棚の上に、買ったままのカバーがされたままで、置かれたままになっていたのであった。
いつ、わたしが何を感じて、この作品を手にして帰ってきたのか、到底思い出すことができない。
しかし。
年が明けてからの作品に、ことごとく食がまつわっているおりに、読まぬ罪はないといったところであった。
表題作「台所のおと」はじめ、これは是非、妻、夫をもつひとにご一読いただきたい作品である。
食欲をかきたてる場面はとうとうでてはこなかったのだが、それを補って余りある物語ばかりである。
妻の、障子越しに聞こえる調理の音を、病床の料理人である夫が日がな慰みに耳にしていると、妻の胸の内にあるすべてが、伝わってくるという。
病気の俺を気遣って、音を立てまいとおとなしく音をころしてやっちゃあいるが。
料理の腕があがってくると、まな板の音だって調子がよくなりやかましくなってくるもんよ。 ところが、お前ははたりと音をおしころすようになっていきやがった。
ああ、せっかくのところを、俺の病に気を遣わせて労を費やさせ、いい加減参っちまってるんじゃあないかと、申し訳なくってなあ。
夫は先行きがない、と医者から妻だけに宣告されたのであったが、それを夫は、もちろん知らないのである。
ただ寝ている自分に気を遣っている、と勘違いしてくれた夫に、真実を気取られてはいけない。明日から、まな板や鍋蓋の音ひとつひとつにはきを気にしてやらなければ。
妻は、いちいち音ひとつにああだこうだと観察されちゃあかなわない、どうしろってのさ、と返す。
なあに、じいっと日がな寝るだけで、それしかないんだから仕方ねえや。
音を聞いただけで、落ち込んでいるのか浮かれているのか、ぜんぶわかる。
夫はそういう。
そんな夫婦、なかなかいないだろう。
恋愛結婚などまだまだめずらしい当時、である。
別の一編では、
「新婚の、ふたりきりのうちの楽しかったこと、幸せだったことを、しっかり覚えておきなさい」
と母が嫁にいった娘にいい含める。
子どもができてふたりきりでなくなったり、夫婦とは愛だの恋だののかたちひとつ影ひとつすら見えない仲のことだ、と思うようなずっと先に、しかと自分と相手とを繋ぐものになる、と。
なかなかまっとうなご意見である。
幸田文。 露伴の娘とたかをくくらず、なかなか素晴らしい作家である。
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