| 2010年01月17日(日) |
「幸せはシャンソニア劇場から」 |
「幸せはシャンソニア劇場から」
をギンレイにて。
1930年代フランスの、シャンソニア劇場の人たちを描く素敵な物語。
経営難の挙げ句、借金のかたに劇場を閉鎖されてしまうも、皆が再結集し劇場を再開、盛り立ててゆく。
社会情勢に翻弄されながらも、成功、失敗、友情、裏切り、そして「絆」によって劇場を支えるカンパニー(一座)の姿は、とても素晴らしく、ほっこりとした気持ちにさせてくれる。
とにかく。
観終わるとまぶたの奥が、じわあっとあたたかくなる作品であった。
さてここで。
作品中に、世相を絶妙に読み取る作曲家が傾きかけたシャンソニア劇場の出し物を見事、作り替えて救うのだが、これはようく考えさせられることである。
笑福亭鶴瓶師匠の「スジナシ」という、ゲストの役者と鶴瓶がまったくのアドリブで、ぶっつけ本番で、即興ドラマを演じる番組があり、わたしはたいそう気に入っているのだが、その延長で、新春からの新番組「女優力」という番組をみつけてしまい、観てみたのである。
ゲスト女優が、同じようなシチュエーションや場面で、ひとり芝居を三役三場面をやってみせる、というものである。
これにはもちろん、脚本がある。
あるからこそ、粗が目立つ。
演じている女優は、星野真里の回と中越典子の回を観たのだが、どちらも素晴らしい女優力を、みせてくれた。
しかし、いかんせん、脚本だろうか、それが、よろしくない。
せっかくの演技が、まったく活かされないような、興がさめる中身を必死で女優の演技力でつなぎ止めようとしているような印象しか残らないのである。
生かすも、 殺すも、 脚本次第。
である。
わたしは生かせているのであろうか。 殺してしまっているのではないのだろうか。
死人でさえも、死んでいると気づかぬようなものを、描く。
かたちなきものに、生命を与えられる力を、培わなければならないのである。
先日、直木賞芥川賞の発表があった。
芥川賞の該当作なし、をはじめ、他の文学賞でも該当作なしということがみられているのである。
出版不況、小説離れ、が危惧どころか既に危機的状況になっているご時世に、である。
生命を、息吹きを、吹き込まなければ、ならない。
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