| 2010年01月11日(月) |
「妖怪アパートの優雅な日常 二」 |
香月日輪著「妖怪アパートの優雅な日常 二」
いやはや、読みやすい。
このてのシリーズ作品は、なにをおいてもキャラクターたちの魅力ありき、である。
小料理屋を開くのが夢で成仏できない、手首だけの「るり子」さん。
彼女の料理は和洋問わず、絶品、であり、まかないで彼女の料理を朝昼晩三食のみならず、お八つや夜食、さらには二十四時間好きなときにいただくことができるなど、まさに極楽である。
幼児虐待で殺され、死してなお悪霊化した母が、我が子への愛の証し妄執絆としてたびたび殺しに現れるという不憫な男の子霊クリ。
そんなクリの母親代わりだった白犬霊シロ。
とはいえ、なにも力を持たないクリとシロらを親代わりにあたたかく見守り共に過ごしている人間たちもまた、面白い。
古今東西はては次元さえも超えて、古書禁書魔術書の類いを取り扱う古本屋。じつはブックマスター、魔術書使いなのである。
主人公の高校生夕士は、古本屋が仕入れてきたとある魔書に、ひょんなことから主人と認められてしまうのである。
なかなか少年少女向けの展開である。
さらにこの魔書から呼び出される妖魔精霊らが、またなんとも愛嬌がある。
巨体で剛力だが数分間しか行動できないゴーレムや、乗られるのを嫌がり飛び去る神の馬ヒポグリフ、目があいたばかりのかわいらしい子犬のケルベロスだったりするである。
つまり。
主人である高校生の夕士と共に成長してゆく、らしいのである。
夕士の幼なじみである人間の親友、泉貴(みずき)との熱い友情も見逃せない。
集英社の甘木週刊漫画雑誌の三大原則を思わせる仕立てともなっているようである。
気楽にさらりと楽しめる作品である。
さて。
余白が、埋まりだした。
欠けていたピースが、なにをきっかけにかはわからないが、パタパタとよい具合に現れたのである。
停滞もしくは沈滞といったものらは、これを迎えるがためにこそあったのだ、そう思ってしまう。 これはただの言い訳だと思われることがたぶんにある。 そうであることもまたたぶんにあるのであるから、なんとも煮えきらない。 煮えきらないのだから、煮えきるまで、ただ我慢強く鍋蓋をあげることなく待つのがよい。 急いて何度も蓋をあげてのぞき込み、結果生煮えの野菜の、ことにジャガイモなどの芯に、ガリッと歯音をたてるようでは、とても報われないのである。
大切なワン・ピースを軽んじては、ならない。
出汁がそれぞれに染み渡るまで、ふきこぼれぬよう注意と敬意を払いつつ、煮込んでゆかなければならないのである。
まだ具材はそろっておらず、なにが足されることになるのか、はなはだ楽しみでもある。
具材たちに染み込ませる出汁、スープの、些細なわたしの勘違いに、気づいたのである。
ブイヨンではなく、鰹だし。
出汁を入れるのではなく、出汁は出てくるもの。
つまらぬ枠にとらわれ、押し込めるのではない。 枠がないからこそ、そこに物語が羽根を広げてゆくのである。
なにをこだわっていたのか、常識のウロコが、ぽろり、である。
狭めるのも、自分。 広げるのも、自分。
なのである。
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