地元の友人らとの新年会にいってきた。
多少の差はあれども、おおよそ二十年という、なんともおそろしいかぎりの年月を経て顔を突き合わせてきた顔ぶれである。
夫婦、子どもらで、なかむつまじく、居間や台所で、やいのきゃあきゃあやっている光景は、なにやら胸に沁みいるものを感じさせられるものである。
小学生の姫ふたりがやんちゃ盛りの王子ふたりの相手にてんてこまいし、そして母ママらの手料理に舌鼓を打つ。
来月には、まためでたいことに新しい小さき命が、生まれ出づるのである。
「生きる」ということのみならず、「暮らしてゆく」ということの輝きは、なんともまばゆいものである。
胸いっぱい、腹いっぱいの、至悦のひとときを、たっぷりと堪能させてもらったのである。
そうしてその夜、友とふたりで、肉の食べ初め、である。
なんともありがたい、めでたい一年のはじまりである。
七輪を挟み、炎と煙がめらめらもうもうと立ちあがり、じゅうじゅうと肉汁が滴り落ち、じゅんと炭の火照りをさます。
炭はさめても、たちどころにまたあかあかと熱を灯し、我が頬を熱くさせる。
至極、至悦、至福、である。
こうして肉を突っつき合える友は、ありがたい。
ともすれば、己が恐れるものなど何もない、とすら思わせてもらえるような何かを、友らはあたえてくれるのである。
何をするでもなく、ただ友としていてくれることに感謝と、これからも変わらず気を遣わぬ、ときに無礼かつ横柄なわたしと、お付き合いいただけるよう、ひらに、ひらにお願い申し上げる所存である。
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