ひとは、深呼吸だけで腰痛(筋肉痛)になれる。
はじめは、ほんの出来心だった。
最近、めいっぱいの深呼吸をしていないな、と思い出した。 体操やらでやるようなきちんとした、由緒正しい深呼吸ではなく、胸に、腹に、ただめいっぱい息を吸いこみ、そして吐きだすだけのもの。
力まず、胸に、横隔膜を意識して、それをよいしょと持ち上げるようにしながら、すううと吸いこむ。
どこかで限界になり、そこでいったん止めて、横隔膜は吊り上げたまま今度は引っ張り上げるようにして、また吸いこむ。
漏れるのはべつにして、まだ吐いてはいない。
吸うのもすぐに限度がくるが、そこからまだまだ吸うのである。
す、す、す、と三つ無理やり押しこむように吸い、ふ、ふ、と二つ吐く。 それを繰り返して、ひたすら胸いっぱいに吸いこむ。
限界の限度の三歩ほどさきに踏み込んだあたりで、はあああ、と吐きだしてゆく。
そのときはもちろん、力を抜いて、含胸抜背、肩や背中のうしろから、ふうう、ふう、ふう、と、吐きだしてゆくのだが、すぐにしぼりだすように吐きだすのではない。 漏れだしてゆくのにまかせるように、そしてそれから、ようやく、はああ、はあ、はあ、としぼりだす。
これをやってみると、いかに息のしかたを、ふだんおろそかにしていたかがわかる。
そして、丹念に持ち上げられたり、押し広げられたり、緊張させられたりしているからだの内部が、なかなか気持ちよいのである。
体中が、手と手を取り合って喜んでいる。
そんな満たされた感覚を、たんと味わい、それはもちろん、胸式呼吸と腹式呼吸のりょうほうを、歩きながらくり返し、帰ったのである。
その結果が腰痛であるとは、なんとも、なさけなさを通り越して、おかしい。
さて、そんな風変わりな痛みを抱えたわたしだが、それはそれで姿勢が、なかば強制的ではあるがよくなり、動作も、おずおずとなるのは必然である。
「どうされたんですか」
いつもの週末お世話になっている水道橋のカフェの、いい加減顔馴染みになり、なつっこい性格の店員がわたしに訊ねてきた。
いや、ちょっと腰痛が。
「だいじょうぶですか。たいへんですね」
店内は、もの凄い女性の客の数で、膨れ上がっていた。
「コンサートがあって、もう、たいへんです。混んでてすみません」
嵐のコンサートがドームであるらしく、ついさきほども、櫻井翔の顔のうちわと「今晩は」をしたところでもあったのである。
「ごゆっくりしていってください」
笑顔で受け答えしあったのであるが、席に座るのもひと苦労である。
椅子の間をすり抜け、身をよじるのが、つらい。
しかし。
からだいっぱいに呼吸すると、いわゆる「気」のようなものが満ちてゆくような、しかと感じるのである。
実際は「気」などではなく、たんなる筋肉の動きに過ぎないのだが、それでも、なかなか味わえないものである。
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