| 2009年10月01日(木) |
「あの日、欲望の大地で」 |
十月一日、映画サービスデーでした。
しかし平日で仕事帰り。 帰りがけに丁度よいやつはないか、と探してみたら……。
あった。 場所は銀座で帰り道。 しかも九時から上映ならば、なんとか間に合う。 腹は減っているが、それより映画。
しかも作品紹介を読んで、ピンときたのです。是が非でもゆかねばならない、と。
そうして、
「あの日、欲望の大地で」
を銀座テアトルシネマにて。
なんともいえない、しかし、わるくはない作品でした。
キム・ベイシ(ジ)ンガーとシャーリー・セロンの二大アカデミー女優が、素晴らしい。
「女」と「妻」と「母」と「娘」と、それぞれの視点でそれぞれの内面の葛藤や衝動を描いています。
それが三世代、実の母娘の間で、歳をとり、立場が入れ代わって描かれてゆくのです。
しかも、時代を行き来しながら、です。
根本は、とても苦い物語です。
母親が不倫。
それをひそかに知ってしまった娘が、脅しのつもりが、浮気相手ともどもガス爆発でふたりを爆死させてしまう。
娘は浮気相手の息子と恋に落ちてしまう。
そして駆け落ちし、妊娠、出産。
娘は産後わずか二日で、ひとり立ち去ってしまう。
娘は成人し、日ごとゆきずりの男と一夜を共にする暮らしを続けていた。
そこに、生後二日で置き去った自分の娘が現れる。
許されない自分の母親と、母親として許されない自分。
常に自分を、罪の意識から傷つけ続けてきた。
本当の愛は、罪の意識の向こうに、置き去ってきた。
許されない自分。
唯一の愛。
唯一の居場所。
彼女を待つ彼と、彼女を許し受け入れようとする娘。
彼女は人生を、ここからやり直すことができるのか。
ひとは少なからず、自分の立場を選んで生きてゆく。
「女」として。 「母」として。 「娘」として。
「男」として。 「父」として。 「息子」として。
どれに従うか。
そもそもの「ひと」として。
どれが正しいのかは、なかなかわからないものなのです。
そのときに、
どの自分を信じ、 従うか……。
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