懲りずにまた「RENT」にかかずらわった話で恐縮だが、頭から、耳から離れないのだから、やむなく触れざるを得ないものとご勘弁願いたい。
何故、耳から離れないのか。
インターネットの無料辞典などによると、「RENT」のすべての曲は、監督、脚本、すべてをつとめた故ジョナサン・ラーソンによって作られている。
そして、
それぞれの歌詞は各行ごとに韻を踏んでおり、これほどのものは他に類をみないらしい。
その曲も多岐にわたり、 ロック、ポップス、バラード、リズム、タンゴ、ブルース、ゴスペルなど、
それらのすべてが、心地良く耳に響き、残ってゆくのである。
わたしはかつて、こう云われたことがある。
「ページを開いて、その文章のレイアウト自体がデザインに見えるようなものを書いてみたらどうでしょうか」
宮沢賢治の、あの、魂の揺らぎだかうねりを表した、と云われる某散文詩のようなことである。
製本云々のレベルではなく、ただひたすら「四百字詰原稿用紙換算」で何文字、何百枚、のレベルであるから、レイアウト云々など主張できるはずもない。
であるから、かの言葉は頭の奥にしまいっぱなしにしていた。
見た目のそれはできないが、韻に拠ることはできる。
韻といっても、字面の通りの「音」に拠るものではない。
意味、背景、など見えないものに拠る、隠喩、暗喩、の類いのものである。
まだ単なる思いつき(しかも竹の独り言の類い)であるので、とらえようがない山奥の白霧のような状態である。
やがて雲になり、雨垂れとなって我が身に降り染みるようになるまでは、まさに五里霧中であがくしかないのである。
ひとつを、ひとつでとらえてはならない。
短絡的にひとつでとらえてしまえば、それはただのひとつにしかなりえないのである。
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