「隙 間」

2009年09月21日(月) 「重力ピエロ」とそこにある意味

「重力ピエロ」

をギンレイにて。
なんというのか、東野圭吾原作作品であり、わたしは読んだことがないので、あくまでも本映画作品においてのみ、語ろうと思う。

役者の、特に小日向さんのあの独特な雰囲気こそが、やはり最強である。

遺伝子符号がどうの、犯罪は遺伝するだの、もしもそこを深く掘り下げてゆくような作品だったとしたら、わたしにはすっかり興醒め以外のなにものにもならなかっただろう。

しかし、ぞくりとさせられたことがあった。

レイプ犯の被害者が妊娠し、その子を産もう、と決断させたところである。

原作ではおそらく、激しい葛藤や事件や爪痕が残されているに違いないだろう、と想像するが、それはさておき。

ここで演者の小日向さんである。

彼がその決断させた夫であったからこそ、わたしはなんとか納得させられてしまった。

そして彼のいう、

「俺たちは、最強の家族だ」

という台詞。

梅宮辰夫や渡哲也や哀川翔らがいうよりも、もっと非現実的で、かつさらに現実的な重さを持たせている。

小日向さんでなければ、全否定しているだろう。

思い返してはならない。
それならと、遺伝子配列の計算式だかなんだったか、昔に習ったことを思い返すべきだろう。

うむ。

やったことは覚えているが、中身はさっぱりである。

そもそも、「式」と聞いただけで、解答ページを探してしまう。

「四季」であれば、「Seasons of love」なのは、いうまでもない。

映画版「RENT」のもうひとつのエンディングは、くどいようだが、何度でも、胸を押さえてしまう。

そもそもの、あのメンバーの並び順は何なのか。

マークは皆の記録者、証人として最後までひとりでいる意味から一番はじなのはわかる。
その隣がエンジェルなのも、亡くなりつつも皆をつなぎ合わせた見守る存在として、マークの隣。

その隣がジョアンヌ。
これは完全な素人の推測だが、ソロパートを歌うのが、このジョアンヌとコリンズである。

コリンズは上手(舞台右手)から二人目に立っており、その対角の位置として、エンジェルがいるのでその隣、つまり下手(左側)から三番目になったのだろう。

そのふたりの間を、ミミとロジャーが入る。

ソロが真ん中で並んでやり合っては、視線が真ん中に集まってしまうし、掛け合いになる部分が、互いに強くうまくいきづらいものなのかもしれない。

それにもし、エンジェルとコリンズが並んでいたら、あの感動は生まなかっただろう。

とはいえ、未公開なのだから講釈云々してみても仕方のないことである。

しかしまた、意味がそこにあるから、そうなのである、ということも、忘れてはならない。

わたしも、自分で気づかぬうちに書いていたことで、それにはちゃんと意味があったことに、書き進めたあとで思い知らされることも多々あるのである。

恐るべし「竹」なり。

それをあらかじめわたしに知らせておいてくれると、たいへんありがたいのだが、それは無理な相談らしい。

わたしが知っていたら、きっとそのために余計な手を加えようとするだろう、とのご指摘である。

然り。

余計な企みを持たそうとすると、それを避けさせるべく、そこに至らぬように話を進めてゆくのである。

今回が、まさにそうだった。

あんたが考えたそれを、今ここにそう都合よくいれさせないよ。
それを決めるのはあんたじゃない。
おれだ。

「おれだ」とまでこられると、わたしは引き下がらざるをえないのである。



There is only us.
There is only this.

Forget regret,
or life is yours to miss.

I can't control my destiny.
I trust my soul.

No other path.
No other way.

No day but today!!


明日のために。
信じて、やるしかないのである。


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