| 2009年08月29日(土) |
「マーリー〜」と忙殺さるること |
日中、赤坂なぞという特殊な街にいると、どうにも非現実的な気になって、疲労感がじわじわと後になってやってくる。
「RENT」のブレークスルー・チケットにことごとく外れてしまった後となれば、なおさらである。
当たって興奮状態にでもなれば、それは違うだろうが、どのみち脱力は免れないだろうと思う。
居心地のよい、馴染んだ場所、というとこが、やはりよい。
そこで、
「マーリー 世界一おバカな犬が教えてくれたこと」
をギンレイにて。
タイトルに騙されてはいけない。
住んでいる土地柄、そして敬愛する内田百ケン先生の影響、ひいては干支から、わたしに愛猫家のてらいがみられるかもしれないが、実は犬派なのである。
恋するなら猫であり、 愛するのは犬である。
どちらもいまだ飼ったことは、ない。
しかし、やはり犬である。
マーリーというレトリバーと、その家族の物語。
不覚にも、目尻が湿ってしまった。 いや、これは汗である。
生きてゆくなら、 仕事に、目の前のやることだけに忙殺されてろ。 余計なことを考えるな。 感じるな、見るな。 それが生きてゆく確かな方法だ。
正しい訳ではないが、「RENT」でマークがフィナーレに叫び歌う台詞である。
忙殺されることは、容易く、とても楽なことである。 それは仕事に限ったことではなく、目の前のやることすべて、においてである。
「せねばならない」ということに「諦め」を混ぜ込むことは、生卵を黄身を潰さずに殻を割るよりも容易い。
ひとは、
やりたいことを数えることから、 できることを数えるようになり、 やがて、 あきらめた数を数えるようになり、 さらに、 これからあきらめるだろうことを数えるようになる。
諦められないから、悩み、苦悩し、叫びたくなるのである。
それは素直に叫び、その叫びにまた耳を傾けるべきである。 ため込んではならない。
難しいところではあるが。
やりたいことを、たとえば仕事にするということは、一見羨ましがられるが、それは当人にすれば甚だ知らぬが仏、である。
極楽の地獄、地獄の極楽。 逃げたくとも逃げられない。 逃げ場もない。 すべての原因も解決も義務も責任も自分、の世界なのである。
やりたいことをやりたいなら、それくらいの覚悟なしに、やるべきではない。
だからなんなのだ。
と、云ってしまう自分もまた、確かな自分でもある。
だからなんなのだ。
と、今こそ云いたいほど支離滅裂な内容になってしまったようである。
今夜はここらでやめておくことにしたがよいだろう。
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