「隙 間」

2009年08月26日(水) 「ヴィヨンの妻」と衝動の償い

太宰治著「ヴィヨンの妻」

新潮文庫版である。
なるほど。軽妙な語り口で、なかなかな読みやすさである。

書評家がこぞって、

「太宰はちっとも、重苦しく陰鬱で気が滅入るばかりでも、ない。ユーモアがあり、軽妙な作品世界を持っている」

と口にしている理由が、うかがえる。

晩年に書かれた短編集であり、やや後ろ向きな背景がみられるが、それを描いている表現が、笑える。

書いてあるそのままに、真面目に受け取ってしまっては後ろ向きだが、あげた足をとりたくなるがままにとってみると、愉快な表現だったりするのである。

表題作の「ヴィヨンの妻」など、その妻と夫のやり取り駆け引きを見るに、あたたかくさえ思える。

さて。
だからというわけではないのだが。

わたしはどうしようもないことをことあるごとにクヨクヨと考える体質なのだが、衝動的に何も考えずにことを行うところが、まま、ある。

下着を、捨てたのである。

ご婦人ご令嬢の前で顔を覆い耳をふさぎ目をつぶってしまう次第ではあるが、何を隠そうわたしはトランクスを永く愛用している。

糸がほつれた、ゴムが心もとなくなってきた、先日ビリッと悲鳴がした、などということが最近重なったのである。

ひとつ目に付くと、ポイと捨ててしまう。
ふたつ目にかかることなく、ポポイと捨てる。

ゴミの日の朝に袋を、ぎう、と締めてポストの前に出し、よい仕事をしたような、すっきりした気持ちを味わったのである。

さて夜、物干しにぶら下がった下着の数を数えてみる。

数えるほどぶら下がってわけでもないのだが、念のため声に出し、指を差しながら数えてみる。

ひい、ふう。
みい。

みい、は、ぶら下がっているものではなく、履いているものを指している。

景気よくポポイと捨て過ぎた。
買い置きの引き出しを開けてみると、袋の封をされたままのシャツだけが、居眠りしていた。

履いたそばから、洗わねばならない。

上野の安い卸問屋が、婦人物ばかりを扱う店になっていた。
紳士物に入れ替わるまで、待とう。

とはいえ、べつにわたしがことさら自分が紳士であることを自負しているわけではない。

我が身窮したりとも士道を踏み外さんや、である。

士も志もなく、そもそもそれ以前の問題ではあるが。


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