「隙 間」

2009年08月10日(月) 「八月の路上に捨てる」とスジナシ。京野ことみの決定打

ビデオに録りためた「スジナシ」の今回分を観た。

ゲストは京野ことみさん。

「スジナシ」とは笑福亭鶴瓶師匠とゲストが、まったく顔を会わさずにスタジオに入り、事前の打合せも筋書きも、まったくなしに一発勝負の即興ドラマを演じ、後ほどそのビデオを観ながらゲストとそのときどきの心境やらを語る、即興ドラマ・トークバラエティ番組である。

これまた、絶妙だった。

舞台は一般的な住宅の縁側。

すべてアドリブのその場任せ。
互いが何者かということさえも、互いに知らせていない。

縁側で休む京野。庭の脇から、うちの猫が逃げ込んできたはずだが見なかったか、と鶴瓶が現れる。
ずっといたが見ていない、と怪しげな鶴瓶をさっさと追い返そうとする京野に、「こちらお住まいの方の妹さんですか?」と、鶴瓶が仕掛ける。
「いえ、私は妻です」と受け返す京野に、「いやいやもう少し年上の方の妹さんですよね?」と、さらにたたみかける鶴瓶。

さあ、ここで、

ははあ。これは浮気目撃の修羅場物語か。

と、流れができはじめたように思える。

「小学生くらいの娘さんと、おられますよね?」と鶴瓶がさらに背景の手掛かりを口にした瞬間、

「いえ。三つの娘ですっ」

間髪入れずにかぶせるように京野が答えた。

もはや、浮気路線ではない物語へと、話は流れ出してゆく。

中古住宅であること、たしかに自分も見たことがある、と、拍車をかけはじめる京野。

このままオカルト路線に落ち着かせるように見え、さあそれからどう展開させそして集結させてゆくのか、と、そのとき。

「お宅の逃げ込んできた猫ちゃんって、触れますか?」

京野の決め手のひと言。

「二年前に、事故で死んでしまってます。でも、ちゃんと、いるんです」

ここまでオカルトぶりをねじ込ませる。

「あ、ほら、いた。おいでっ」

鶴瓶が家の奥を指差し、そこで「はい、カット」との声がかかって終了を告げる。

打合せもなにもしていない。

京野ことみさんは、最初の「ずっといたが、猫など見なかった」という己のセリフを、最後に見事な終着点として生かしたのである。

すべては、互いが手探りしながら、あうんの読みで話を展開させてゆくである。
しかも、事前にまったく打合せも、それどころか顔もあわせずに、である。

これは視聴率目当ての連続ドラマなどを観るより、ずっと、面白い。



さて。

伊藤たかみ著「八月の路上に捨てる」

芥川賞受賞作品である表題作ほか二編を収めている。

なるほど、なかなか芥川賞「らしい」作品である。

三十歳の誕生日に離婚届を出す、という自販機のベンダーのアルバイトをしている敦と、

もうすぐ再婚するというバツイチ子持ちの女性・水城さんは、

ペアで毎日都内の自販機をトラックで回っている。

敦は脚本家を夢見て今のアルバイトを続けているが、学生時代からの付き合いの妻は出版社勤めの夢破れ、マンション販売代理店で心身とも疲れ果てながら、それでも純に「あなたは夢のために頑張って」と働き続ける。

これは本来、とても理解ある嬉しい言葉であるのかもしれない。

しかし、わたしは違う。
違った。

励ましや優しさや応援の気持ちや言葉はもちろん、欲しい。
しかしそれだけでは、ダメなのである。

「応援もするけれど……」

の、「けれど」の言葉を口にして欲しいのである。

さて作中の敦も、やはり同じだったのかもしれない。

妻は次第に病み、仕事も辞めざるをえなくなる。
病んだまま次の仕事も見つからず、

「あなたばかり好きなことをやって、どうしてわたしはしてはいけないの」

と、ついに心が切れてしまう。

「出口がないの、出口がない」と、つぶやきながら、毎日泣いている妻。
敦は重苦しい空気を避けるように、浮気に走る。

それがバレて離婚になればいい、とも思う。

しかし、やがて自らの口で、浮気とは関係なく、妻に伝えることになる。

「やっと言ってくれたね」

その後、それこそ出会ったばかりの学生の頃のようなデートを、それ以来久しぶりに、する。

いや。
できるようになった。

最後の一日。

そんな四方山話を、水城さんにとつとつと話す。

水城さんは、自分がもうすぐ再婚することを敦には話さず、オトコっぷりのいい反応でうなずき、またひっぱたいたり、する。

なかなか、いいコンビの、物語である。

また「安定期つれづれ」という作品は、もうすぐ「おじいちゃん」になる英男が、娘が戻ってきたものだからそれを機に禁煙しよう、というところからの物語である。
里帰り出産、というわけでもないらしい、とやがて気づきはじめ、妻の静子と気を遣い気を遣い、娘と、見舞いにたまにやってくる旦那とを見守ってゆく。

「人生に安定期なんてないのかもしれない。
誰かと暮らすとなればなおさら」

なかなか深い言葉である。
そして禁煙パイプによって日毎煙草の味が薄くなってゆくのを日記にしてゆくのだが、その都度、なかなかよい言葉をもらしてゆく。

「大人に子供もないが、娘は、一歩、子供を過ぎた。
大人になるのはまだ遠い。
安定期にいたっては、大人のもっと先にある」

「そもそも煙草なんて吸わずに生きていられた。
娘だって、妻だってそうだ。
だから、安定期というものには、一生お目にかかれないだろうし、それでいい」

「子育てで自分の人生が自分のものでなくなるようだが、そこには快感ほどではなくとも、間違いのない気安さがあった。
五月に溶けてゆくことを許すようなすがすがしさが、あった」

このそれぞれの言葉を確かにするには、本作を読んでみてもらいたい。


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