「隙 間」

2009年07月27日(月) 「オートフィクション」に感嘆す

金原ひとみ著「オートフィクション」

ブラァーヴォ!

わたしは立ち上がり、渾身の拍手と、感嘆と敬意と賛辞をおくるだろう。

友人知人には、決して読んでもらいたくはない。

いや。

読まれたくない読ませたくない、知られたくない知ってほしくない作品である。

芥川賞受賞作「蛇にピアス」から「アッシュベイビー」、「AMEBIC(アミービック)」と、ますます勢いを増す突き抜けっぷりは、他の追随を許さない。

突き抜け過ぎて、もはや人間の領域を超えている。

間違いなく有害指定図書として、学校の図書室には、決して置かれることのない作品。

「オートフィクション」とは、自伝的創作小説の形式のことを指し、主人公の小説家であるリン(二十二歳・オンナ)が、編集者から「書いてみないか」と持ちかけられるのである。

新型インフルエンザウィルスよりも、HIVや天然痘のウィルスよりも、水虫菌やゴキブリの生命力やシュールストレミングの臭さなんかよりも、強烈な、熱のようなものを孕んでいる。

滑稽なほどに、熱い。

常に、疼いている。
常に、蠢いている。

常に、烈しく。
常に、愛しく。

常に、純粋。
常に、真摯。

常に、偏。
常に、執。

故に、常。

おそらく、大概のひとが

「なんだコレ」

と、かなり早い頁で眉をひそめ、顔を背けるだろう。

しかし目は続きを追ってしまう。

そんな力が、ある。

金原ひとみとは、なんと恐ろしい生き物なのだろう。

巻末の解説のなかで、小説家の山田詠美さんがいっている。

小説家という病。
神と糞を、躊躇なく同列に閉じ込める。
それはまさに病人の所作としか思えない。
閉じ込めておいて、自分はのうのうと、かわりに神におさまる。
しかしその神も、また別の神に支配されている。
そういう畏れを常に持ち続けて怯え、震えているのも、また、小説家なのだ。

と。

よりさらに、畏れ、怯え、震えていよう。


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