| 2009年07月13日(月) |
「きつねのはなし」と川上未映子観 |
森見登美彦著「きつねのはなし」
京都を舞台とした奇タン集である。
ここに、これまでわたしが読んだ森見作品の軽快さ、理不尽なまでの奇天烈で愉快な物語の影など、微塵もない。
それだから、惜しい。
しかし、森見作品ならではの、各話の出来事や人物などがそれぞれ繋がっているという巧妙なところは、なかなかなるほど、と思わされる。
さて。
昨夜、まさに偶然、川上未映子さんの密着番組にチャンネルが合った。
「乳と卵」にて芥川賞を受賞した作家であり、歌手でもあった。
わたしはまだ、彼女の作品を読んだことがない。
番組中、彼女は筆がなかなか進まなかった。 締切の、結局二ヶ月遅れで校了となったのだが、そのなかで、彼女のつぶやきがナレーションで語られたところがあった。
こんなことを、わざわざ自分の作品で読んでもらう必要があるのだろうか。
それは常に頭の真ん中に、小さくもしっかりとこびりついた染みのようにあり続ける疑問である。
しかし、書きたいのだから書く、という衝動に普段は突き動かされて気づかないままでいられる。
気づいてしまうときは、迷いやためらいがあるときだったりする。
そんなのばっかりである。
ありすぎて、もはやなければ寂しく思ってしまうくらいである。
もしもあと一ヶ月かけていいものが書けるなら、一ヶ月、締切を延ばしてもらって、いや延ばして、書きます。
そう、言っていた。
彼女のブログを見てみたら、待ってもらって迷惑かけて申し訳なかった、といった類いの言葉も添えられていた。
「今回(何度目かの締切延長)で原稿あがらなかったら、本気で一緒に飛び降りようって、思ってたもんね(笑)」
番組中のひとコマで、編集の担当者が、ケラケラと冗談めかして語っていた。
作家とは、まことしやかに「わがまま自分勝手」な人種のひとつ、である。
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