毎週末の定番となりはじめていることがある。
昼過ぎに神保町へと向かう際に、いつもは家を出てまずは上野の方へと向かってゆくのだが、逆方向、つまり谷中銀座へと向かうのである。
谷中銀座で軽食をとって昼飯をすませるのであるが、「谷中メンチ」やら「元気メンチ」やらのテレビや雑誌でお馴染みの有名店の前は、目もくれずに通り過ぎる。
わたしが目指すは、
「取材、撮影、一切お断り」
を掲げている惣菜店である。
なによりも、 安い。 美味い。
有名二店にひけもとらない。 ふんわりサクッ、の野菜コロッケが一個三十円である。 メンチカツこそ二店に気兼ねして同じ百五十円ではあるが、他はみな、安いのである。
チキンカツなど、わたしの両の手のひらほどあるというのに、百八十円であった。 唐揚げも百グラム百円という、わたしには悪魔の囁きにしか見えない。
わたしは、メンチカツと焼きおにぎり八十円と焼き鳥のももとつくね六十円ずつを頼み、金三百五十円也。
それらをくわえ、頬張り、かじりながら夕焼けだんだんをのぼり、野良猫たちをかわし、日暮里駅へと向かうのである。
そうして、いつもは徒歩にて向かっているはずの御徒町にて下車する。
なんとも贅沢なことである。
贅沢ついでに、眼鏡を買うことにした。 べつに度が合わなくなったわけではない。
わたしは普段、立ったり歩いたりしているとき以外、眼鏡はかけていない。 であるからして、度が進むということはなかなかないだろうと思っている。 思うのは勝手なことで、それとはお構いなしに度のほうがほいほいと進んでしまうのであれば、それはわたしにはどうしようもないことである。
度はともかく、眼鏡のつるのほうが、どうにもしがたいほどに、ゆるゆるがたがたのぼろぼろになっていたのである。
そこで眼鏡屋に入ったのであるが、辟易してしまった。
棚に並ぶ眼鏡たちが、いっせいにわたしをみているのである。
眼鏡であるから、ことさらに、あちこちから、である。
三省堂にて文庫を物色するように、わたしに目を合わせてくるものを選ぶようにはゆかない。
なにせ、眼鏡たちは目そのものなのである。
目を細めているもの。 見開いているもの。 涼やかに様子を窺っているもの。 挑戦的に睨みをきかすもの。 色目を使ってくるもの。
さあ。 さあっ。
勧進帳ではないが、鼓の音が段々、激しく早くなってくる。
いよおぉっ。
ぽんっ。
ようやく決めることができた。 とはいえ、せいぜいが十分くらいである。
それを超えるようならば、わたしは買わずに出てゆくであろう。
買うときは長く選ばない。長くなるなら出直す。 それは、そのときに買うべきではないのである。
新調したレンズを通して見える風景は、いったいどんなものが映るのであろうか。
そのひとつひとつを、書きとめてゆくのである。
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