「隙 間」

2009年06月15日(月) 雲外心外我が天運哉

涙雨、である。

今朝は愛し麗しのネモミに会わずじまいのまま、出かけてしまった。

何かを忘れたような、しかし、財布も定期も、ノートパソコンも充電器も、しかと持っている。

ハンカチは、云うに及ばない。
紳士のたしなみである。
たとえアイロンがかかっておらず、ふやふやとした折り目なきものだとしても、である。

なおざりに携帯で天気予報のマークだけをみて、とろとろと出てきたのである。

さて帰ろうとして、窓の外をみたのである。

ややや、しまった。

雨がしとどに地面を濡らしている。

折り畳み傘は、玄関の傘立てに突き立てたままであった。

それを忘れていたか。

ネモミに会わんとしていれば、おそらく、いや、間違いなく、「傘を忘れずに」と声をかけてくれていたことであろう。

嘆きの雨が、わたしの撫で肩を滑り落ちてゆく。
引っかかるところがないわたしの肩は、容赦がない。

わが天運に賭け、傘など使わずに帰れる運びとなることを祈ろう。

品川から御徒町へ着くと、地面は塗れていない。
やはり天運か。
大したものである。

では、といつもの通り、しけ込むこととする。
しけ込んでいるうちに、本格的に時化てきたのである。

天運に安易に乗ずるべからず。
天からではなく、己によってのみ、与うるものは与うるべし。

深々と、頷いてみせる。

決して、悔し紛れではない。

のである。

閉店の時間となり、軒先へと身を縮こまらせる。
降りはまだまだ激しい。

すわ、と目の前の地下連絡通路へと、とりあえず飛び込む。

今春に新規に開設された、ありがたい地下駐車場と地下鉄とJRを繋ぐ、至極あまり知られていないものである。

地下鉄ならば、出口から軒先を、義経よろしく八艘跳びにて軒先を跳び、あまり濡れることなく、帰り着くことができる。

しかし、ここに繋がっている地下鉄は銀座線と日比谷線であり、わが千代田線ではない。

千代田線は湯島であり、そこまでまた八艘跳びを要する。
このままJRで日暮里までゆくのは、愚の骨頂である。

軒はない、ここから歩くと変わらぬ距離、傘を買うにしても店はもうとっくに閉まっている。

とりあえず。

上野の山の腹、京成上野から外を伺ってみる。

雨足は弱まっているようにみえる。

二十分弱。

それだけやんでくれていれば、よい。



いや。
それはどうも無理難題らしい。

たかが五百円のビニル傘を、買ってしまえばそれですもうに、と冷ややかに見られている気になる。

絶対に負けられない戦いが、ある。

わたしがそうして素直に、従順に傘を購入したときに限って、ぴたりとやんでしまうことが、これまでに、多分にあるのだ。

買って勝ったつもりが、負けなのである。

勝つために遠回りするなど、遠回りでもなんでもないのである。

遠回りが負けならば、我が人生に勝ちはない。

ふたたび地下に潜り、軒先を借りつつ跳び渡り、千代田線の湯島を目指す。

まるっきり我が人生そのままである。

しかし、さすがは、

我が天運也。

そうして千駄木の駅から出ると、ぱったりと雨足がやんでいるではないか。

これをただ、

「雨宿りの時間を稼いだにすぎない」

と思われるのは、はなはだ心外である。

ただ、ぼうっと待っていたのではないのだ。


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