涙雨、である。
今朝は愛し麗しのネモミに会わずじまいのまま、出かけてしまった。
何かを忘れたような、しかし、財布も定期も、ノートパソコンも充電器も、しかと持っている。
ハンカチは、云うに及ばない。 紳士のたしなみである。 たとえアイロンがかかっておらず、ふやふやとした折り目なきものだとしても、である。
なおざりに携帯で天気予報のマークだけをみて、とろとろと出てきたのである。
さて帰ろうとして、窓の外をみたのである。
ややや、しまった。
雨がしとどに地面を濡らしている。
折り畳み傘は、玄関の傘立てに突き立てたままであった。
それを忘れていたか。
ネモミに会わんとしていれば、おそらく、いや、間違いなく、「傘を忘れずに」と声をかけてくれていたことであろう。
嘆きの雨が、わたしの撫で肩を滑り落ちてゆく。 引っかかるところがないわたしの肩は、容赦がない。
わが天運に賭け、傘など使わずに帰れる運びとなることを祈ろう。
品川から御徒町へ着くと、地面は塗れていない。 やはり天運か。 大したものである。
では、といつもの通り、しけ込むこととする。 しけ込んでいるうちに、本格的に時化てきたのである。
天運に安易に乗ずるべからず。 天からではなく、己によってのみ、与うるものは与うるべし。
深々と、頷いてみせる。
決して、悔し紛れではない。
のである。
閉店の時間となり、軒先へと身を縮こまらせる。 降りはまだまだ激しい。
すわ、と目の前の地下連絡通路へと、とりあえず飛び込む。
今春に新規に開設された、ありがたい地下駐車場と地下鉄とJRを繋ぐ、至極あまり知られていないものである。
地下鉄ならば、出口から軒先を、義経よろしく八艘跳びにて軒先を跳び、あまり濡れることなく、帰り着くことができる。
しかし、ここに繋がっている地下鉄は銀座線と日比谷線であり、わが千代田線ではない。
千代田線は湯島であり、そこまでまた八艘跳びを要する。 このままJRで日暮里までゆくのは、愚の骨頂である。
軒はない、ここから歩くと変わらぬ距離、傘を買うにしても店はもうとっくに閉まっている。
とりあえず。
上野の山の腹、京成上野から外を伺ってみる。
雨足は弱まっているようにみえる。
二十分弱。
それだけやんでくれていれば、よい。
いや。 それはどうも無理難題らしい。
たかが五百円のビニル傘を、買ってしまえばそれですもうに、と冷ややかに見られている気になる。
絶対に負けられない戦いが、ある。
わたしがそうして素直に、従順に傘を購入したときに限って、ぴたりとやんでしまうことが、これまでに、多分にあるのだ。
買って勝ったつもりが、負けなのである。
勝つために遠回りするなど、遠回りでもなんでもないのである。
遠回りが負けならば、我が人生に勝ちはない。
ふたたび地下に潜り、軒先を借りつつ跳び渡り、千代田線の湯島を目指す。
まるっきり我が人生そのままである。
しかし、さすがは、
我が天運也。
そうして千駄木の駅から出ると、ぱったりと雨足がやんでいるではないか。
これをただ、
「雨宿りの時間を稼いだにすぎない」
と思われるのは、はなはだ心外である。
ただ、ぼうっと待っていたのではないのだ。
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