「隙 間」

2009年05月10日(日) 神田祭で、なんだかんだと「強運の持ち主」

 神田祭

 今日は神輿宮入です。
 町会地区の神輿が、次々と入れ替わりで境内に担ぎこまれます。

 ひとつずつ神主さんにお祓いを受け、それぞれの地区会長さんが一本締めをするのですが……。

「暑い中、長時間ご苦労様でした。え〜……」

「それ以上の熱さで盛り上がって担いでもらって、とてもよいのだけど、もう少し……」

「……落ち着いて担ぎましょう」

 どっ。

 境内中から笑いが。
 担ぎ手さんたちは苦笑いで頭を掻いたり、ちげえねえ、と真っ赤な顔で大笑い。

 着物姿の楚々とした姿も癒されますが、
 半纏姿の凛々しい姿も、ぐっときます。

 祭りは素敵です。

 さて。

瀬尾まいこ著「強運の持ち主」

 瀬尾まいこ作品といえば、わたしは「幸福な食卓」であり、映画化された同作品で主演した北乃きい嬢に、あやうくコロリとゆきそうにもなったことがあった。

 本作品は、直感優先の女性占い師ルイーズ吉田のもとを訪れる、悩み多き人々の、こころあたたまる物語である。

「強運の持ち主」である現恋人の通彦を、当時は付き合っていた彼女がいたにもかかわらず、あの手この手で自分に振り向かせたルイーズ吉田こと吉田幸子。
 通彦は市役所勤めの「ぼおっとした」冴えない男。

 とても「強運の持ち主」とは思えず、その片鱗などこれっぽっちも見せない見当たらない。

 しかし、ふたりは絶妙に、いい組合せであった。

 ジャスコでバスマットを買い物したときのルイーズを見て、好きになった。

 デートらしいデートをしたって好きにはならず、ただ「デートが終わった」とホッとするだけだった。
 でも、ジャスコで買い物したときは「また一緒に買い物をしたい」と楽しく思えた。

 ジャスコでなくても、ちょっと遠くのダイエーに、ふたりで必要な物を買いにゆくことのほうが、楽しい。

 通彦は、いう。

 わたしは決してジャスコの回し者ではない。
 ダイエーの回し者でも、ない。

 しかし、アルバイトや仕事で、度々お世話になったことはある。

 ルイーズを訪ねるお客の物語は、なかなかこころあたたまるものばかりである。

 気をひきたい男性がいるけれど、どうすればいいか。

 と訪れる女子高生。
 アドバイスの効果がないと繰り返し訪れ、男性とは母が再婚した新しい父のことだとわかる。

 髪型やファッションを変えてもダメ。家族でジャスコかダイエーに買い物に行ってご覧なさい。
 ギクシャクも、ちょっとずつ、打ち解けてゆくはずだから。

 お父さんとお母さん、どっちがいいかわからない。

 ひとりで訪れた小学生の男の子。

 離婚間近かと思いきや、男の子がまだ赤ん坊だった頃に母親が亡くなりシングルファーザーになった父親が、泣き止まない赤ん坊が女装して母親の格好をしたら泣き止んだのをきっかけに、以後ずっと、男の子の前では女装を続けていた。
 小学生にもなれば、女装だとわかる。
 バレているのに、まだ続けている父親に、どうしたらいいのかがわからない。

 ニベアクリームの匂いに母親の匂いを感じている男の子。
 父親のもとをルイーズは訪れ、ニベアを手渡す。

「お父さんとかお母さんとかどちらがいいじゃないでしょ。一生懸命、そばにいてくれるひとだから、好きなんでしょう」

 瀬尾まいこさんは、日常のささいなものやことを用いて、ホッと思わせることが上手い。

 そんなこと、さして特別にあげつらうことでもないだろう、作家なのだから。

 と思われるかもしれないが、そう、

 冬の寒さでかじかんでいるときに飲むココア

 のようなのである。
 森永だろうがヴァンホーテンだろうが、お湯を注げば誰にでも作れるかもしれない。
 しかし、あたためられたマグカップ、ほどよい甘さ、鼻先をやわらかく包んでくれるあまくあたたかい湯気、そしてその向こうに見える、頬杖をつきながらやわらかく微笑んで見つめている、いるのが当たり前に思ってしまっている、実は奇跡の確率で出会ったひとの姿。

 それらが、その日常のなかに当たり前に存在していることを当たり前に描いているのに、なかなか当たり前のことではないことを気づくことがないのが、当たり前だったりするのである。

 なかなか、あたたかい作品である。

 あたたかい作品。
 いつかは書かねば……。


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