「隙 間」

2009年05月06日(水) 「夕子ちゃんの近道」と男子たるものどーなつてるのか

 男子たるもの、とはいえ、甘味を所望したくなるときだってあるのである。

 所望、と堅苦しい文字を使いはしているが、なんのことはない。
 甘いものの話であるから、多少の堅さなり気骨なりを入れようとしてみただけである。

 我が共感を覚えたる文人内田百ケン先生は、大の酒飲みであり、食にこだわりある御方であったが、それはグルメなどといった安っぽさ漂うものでは納まるものではない。
 美味を喜ぶのはその範疇を超えるものではないが、あくまでも「食う」ことに対する、純粋で、偏屈ともいえるこだわりをもっていたに過ぎない。

 昼は決まって蕎麦ひと盛りのみ、それも近所の決まった時間にきちんと届けてくれる店の、というだけであり、夜の一食だけしか食わなかったそうである。

 朝は食わない。
 教職や郵政局詰めのときでさえ、時間通りにきちんと蕎麦が届かないことに対する不満や心配から、身も胃袋も、ずうっとそわそわと落ち着かなかったそうである。

 とはいえ、その隙間につまんでいるものがあったのである。

 たとえば朝が、牛乳と英字ビスケット、である。
 あの、アルファベットの形に焼かれた、ビスケットである。

 ドイツ語教師であった百ケン先生にしてみれば、なんとも歯痒い姿を想像してしまうが、当人はそうでもない。

 ただときおり頭の中で、「O(オー)」を見て「0(ゼロ)」と比べたり「Z」と「2」を比べたり、「Y」と「T」の心もとない違いに眉をひそめたりしたくらいのものらしい。

 わたしの話に戻ろう。

 甘味といっても、ハイカラな店構えのところに陳列されている洋菓子や、ぜんざいやもなかなどの和菓子ではない。

 日本国内でも東京のみ、東京でも三店舗しかない、という店のひとつが、じつはわたしが常日頃くだを巻いている街に、あるのである。

 男子が単身で足を踏み入れること困難な五本の指に入るであろう、ドーナッツ屋である。

 一昨年あたりから話題になった「crispy cream doughnuts」なる店は、昨年、当時同期だった連中と新宿の店に踏み入ることをすましてある。
 あれはなかなか、美味であり、不思議な食感に感動を覚えた。

 今回は、そこよりもハアドルはかなり低いはずではあったのだが、いかんせんドーナッツ屋はドーナッツ屋である。

 男子が単身、もさもさと輪っかを食いちぎり頬張る姿を想像してみてもらいたい。

 なかなかもの悲しさが漂いはじめることであろう。

 とはいえ、今回ハアドルが低いだろうといったのは、元々は大手系列店のものであったからである。

 店の名は、

「and on and」
(アンドナンド)

 諸兄にも馴染みあるだろう「ミスタードーナツ」の、ハイグレード店である。

 「ミスタードーナツ」であれば、千駄木店で珈琲を何杯もいただきつつ読書執筆に勤しんでいたという、深い(店にしてみれば不快な)ご縁がある。

 臆することなく、傘の露を払い、一歩踏み入る。

 中華の類いはないが、サンドウィッチやホットドッグなどの品目が揃えられている。

 ドーナッツ屋に、なぜ中華があったのかは、今は触れずに進めよう。

 神保町という街柄か、男子のみの姿がちらほら見受けられる。
 これがもし、渋谷や汐留であったなら、たちまちわたしは女子ばかりの光景に辟易し、露払いもそこそこに五月雨の下に退散していたかもしれぬ。

 女子は、何をそんなお馬鹿なことを、と思われるかもしれないが、なかなか真剣な問題なのである。少なくとも、わたしにとっては。

「大人のドーナッツ」との店に相応しいように、わたしも「大人な」ものらしく「黒豆黒糖云々」ともうひとつを珈琲と共に購入した。

 しかし、隣の卓の女子が、皿に載った生クリームがとろおりとふんだんにかけられたドーナッツを前に、ナイフとフォークを構えていたのに気づき、目を、意識を、唾液を、奪われてしまった。

 ああっ。
 あのたっぷりとした、とろおりとしたクリーム。
 ややっ、なんとそれだけではないではないかっ。
 シロップが、あれはメイプルだろうか、までが、とろろろろ、と注がれているっ。

 唾液を珈琲で流し込み、文庫をめくってその光景を掻き消そうと努める。

 男子ひとりが同じことをしている寒々しい光景をあえて想像して。

 かき乱されつつも、なるべく一心不乱にかじりついたわたしのドーナッツも、さすが「大人の」とうたうだけあって、なかなか美味であった。

 甘さもおさえられ、まさに、「大人の」ドーナッツである。
 先述の「不思議な溶けるような食感」のものとは違う、落ち着いた食感と甘味は、なかなかお勧めである。



 さてさて。


長嶋有著「夕子ちゃんの近道」

 大江健三郎賞受賞作です。
 なるほど、なかなか「らしい」作品でした。
 といっても、大江健三郎作品は一作品しか読んでいないのですが。

 読みやすく、そして、ほのぼのとしたなかで物語は進んでゆきます。

 骨董屋「フラココ屋」に、その二階の倉庫を兼ねた部屋に住む「僕」。
 フラココ屋の主人と大家とその孫娘の朝子さんと夕子ちゃんと常連の瑞枝さんらの、世代を超えた「ひととの繋がり」を描いてます。

 なかなか、よい作品です。


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