「隙 間」

2009年05月02日(土) 公の前の個の儚さ

 豚インフルエンザ感染報道を観ていて、悲しくなった。

 はじめ成田空港で移送された女性の報道が、わたしを呆れさせた。

 事件の容疑者でもない、
 自ら感染しにいったわけでもない、

 なにより、本人が激しい不安と動揺に苛まれているだろうはずなのに、

 激しいフラッシュ。

 本人をはっきりと捉えた映像。

 公の前に、個は完全に無視されることを確認した。

 よしんば、報道陣が集まり、取り上げ、突き止めようとするのはよしとしよう。

 黒布をすっぽりと被り、個人を特定「しづらく」していたとしても、たとえばタラップを降りているときに映っていたブーツを観て、個人にたどり着くものがいるかもしれない。

 そんな映像が全国に流されたことが、本人の衰弱や、身内に衝撃と消耗を与えるかもしれない。

 すぐ後に、彼女は別のインフルエンザでした、とサラリと流し、横浜で今度は本当の感染者がみつかった、と、これまた「犯人」を吊し上げるかのように、全国にたれ流す。

 危機管理意識、おおいに結構。

 しかしそれは、

「意識の主張」

 にしかみえない。

 公の「アピール」のために、個の「保護」を踏みつけている。

 じゃあ、隠してこっそりバレないようにやれば、と言っているわけではない。
 全国的な一大事だと知らないわけでもない。

 やり方っつうもんが、あんだろうがよっ。

 社会のすべてが、

「劇場化」

 しているのが、腹が立つ。



 学生時代に、街のあちこちを劇場化する、などという設計コンセプトを声高にしていたりもした己を、苦く思い出したりもする。

 そして今も、似たようなことをやり続けようとしている己がいることも、また然り。

 徐々に月が、満ちてゆく。


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