さて参った。
参ったといってもわたし自身のことだから、わたしがそれをやむなしと飲み込んでしまえばそれですむ。
しかし飲み込んだところで、それはそれで、あまり気持ちのよいものではなかったりする。 では、といえば、どうこうなるものでもないのである。
できていないものは、できていないのである。
この三月、何をしていたかといえば、なにをしたわけでもない。 ただぼうっと、そうして書いていただけである。
そして、はたと思ったのである。
「これは文学としてよいのだろうか」
と。
これまでも、それはけっして文学とはいえないまでも、真面目に書いてきたつもりではある。
が。
今回は、真面目に書いているつもりだが、とにかくゆるんでいる。 百枚を超えてなお、ゆるみが引き締まる気配がみられない。いや、さらにゆるゆるになろうとしてさえいる。
森見登美彦氏のように、ゆるみすぎて、かえってゴムバンドのように弾力があるかというとそうでもない。
まるで、ゴムののびきったトランクスをはいているようである。 それも、落ちないよう手でおさえるのではなく、へっぴり腰で尻を突き出して歩きながら、ずり落ちるのをふせいでいるようなものである。
もちろん、風呂上がりにトランクスいっちょで、である。
女子にはたいへん失礼なたとえをしてしまった。 どうか想像する前に忘れてもらいたい。
のびきったゆるゆるのゴムは、ふた月ほど、辛抱しようと思う。
ふた月後、それを恐縮ながら拝読いただけるよう、お渡ししたく思う次第である。
どうかご容赦を。
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