「隙 間」

2009年03月15日(日) 「宮廷画家ゴヤは見た」我が運勢

「宮廷画家ゴヤは見た」

 をギンレイにて。

 ゴヤ(ステラン・スカルスガルド)が描いた肖像画のふたりの人生を描いた作品である。
 裕福な商家の娘イネス(ナタリー・ポートマン)が、居酒屋で豚肉料理を食べなかった、という理由だけで異端審問にかけられ、尋問という拷問によって「ユダヤ教を信仰している」と告白させられてしまう。

 異端審問会の指揮をとっていたロレンソ神父は、自らが復興させた尋問によって牢に閉じ込められ、拷問を受け、告白させられたイネスのことを、ゴヤが描いた彼女の肖像画をみたときから、じつはこころ傾けていたのであった。

 フランス革命による教会の立場の変転、そしてまたイギリス軍によるフランス軍の撤退など、それらの激動のなかに翻弄される人々の姿を描いている。

 やはり、ナタリー・ポートマンは、素晴らしい。
 この演技力は、思わず「すげぇ」と声を漏らしてしまった。

 ゴヤといえば、「黒のシリーズ」である。
「〜ヌス」とかいったうろ覚えの題名ではあるが、我が子を頭からかじっている姿の作品は、強烈に記憶にある。



 さて今日は、いつも通りに昼から出動である。
 気づいたら「ウチくる」が「さんまのあっぱれ〜」に変わるところだったのだが、まさに「あっぱれ」な睡眠時間であった。

 うだうだとドキュメンタリーを観ながら、あら国際結婚なんて大変ねぇ、でもやっぱり愛よね愛、などと相づちを打つ。

 そうしてふわふわと部屋を出て、移動鞄屋「えいえもん」の女子が被っている鮮やかな紺の、ニット帽のボンボンに目を奪われつつ、不忍池にたどり着く。

 そうだ、湯島に行こう。

 とはいいつつ、すぐの通り道である。
 天神様には久しぶりである。

 湯島の梅園に恋人とくると別れてしまう。

 という古くからの言い伝えがあるが、わたしにはとんと縁がないコンコンチキな話である。

 湯島天神を抜けると、やがてすぐに神田神社である。

 そういえば先月は顔を見せていなかったことを思い出し、ちとご挨拶でもせねば、と思い立つ。

 ぱん、ぱん。
 なむなむ。

 なむなむとは「南無南無」ではない。宗派上の文句を超えた、万能の唱え文句のつもりである。

 神妙に手を合わせ、もくもくとコウベを垂れていると、もくもくと鎌首をもたげてくるものがある。

 新年度を前にして、運試しである。
 また、ご無沙汰の非礼に大黒様、オオナムチノミコト様がヘソを曲げてはいないか、ご機嫌伺いの意味もある。

 カラカラカラ。
 シャッシャッ。

「一番」
「大吉」

 である。
 年始にひいたのは「中吉」であったので、なかなかの進歩である。

「縁談」かならずまとまる。

 だそうである。

 これがひとか作品か、大黒様の石像を見上げて問いかけてみる。

 身の丈三メートルはあるそのご尊顔は、空を見上げて笑っている。

 はぐらかされているようである。

 つられてこちらもゆるんでしまう。
 まあ、いずれどちらかわかることであろう、と一礼。

 もっぱら作品のほうであることを祈るばかりである。


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