「隙 間」

2009年03月02日(月) 阿房とサクラ

 昼食を高知ケンと共にした。

 名を変えての登場だが、かつての後輩であり、今の職場で再会をはたした不思議な縁があるものである。

「遅まきながら、新年会兼ねて昼飯でもどうっすか」

 彼がいいだしてから、もう二十日もすれば桜が咲くという今の今まで延期されていた。

 待ち合わせに、いつものごとく、わたしは十分ほど時間を惜しむことなくかけておもむく。

「やあやあ、どうもどうも」

 わたしに気がついた高知ケンは手を振る。

 まるっきり「阿房列車」の某氏じゃあないか。
 それなら、とわたしも真似て「どうもどうも」と返す。

 ところで百ケン先生は、けっして「どうもどうも」をよしとしない。

「何が「どうも」なのかわからないのだが、本人がそういうなら不思議だがそのままにしておこう」

 どうやら、よしとしないほどのことではなかったようだ。

「いつもの店でいいですか」

 いつももなにも、前に二度だけ行った定食屋じゃないか。
 いやたしかに、今までその二度しか、彼と昼食を共にしていないのだから、そういっても間違いではないのか。

 わたしが答えるのをほったらかしにして、ずいずいとその店に向かって歩き出していた。
 不平や不満、文句をこれっぽっちももつわけでもなく、わたしはユルユルと彼を追いかけた。

 先にいって席をとってくれるならそれに任せよう、などと都合のよいことを考えていた。

 まさに、まるっきり「阿房列車」である。

「いやいやいや、すごい並んでますよ。ほかにしますか」

 高知ケンの言うとおり、すごい行列である。
 けっきょくまた彼の後についてゆき、洋食屋に入っていった。

 久しぶりに、オムライスのメニューを目の前にした。

「ぼくはハヤシとハッシュドビーフと迷ってるんですけど」
「ハッシュドにしよう。ハヤシなら、松本楼でも食える」
「マジっすか。さすがですね」

 なにが「さすが」なのか、からかい文句のつもりなのかもしれないが、気にすまい。

 なにせ、目の前にはもう「ハッシュドビーフのオムライス」が、トロトロと湯気と香りをたたえ、鎮座ましましているのだ。

 うむ。
 久しぶりに堪能した。

「じゃあまた。次は花見しながらにしましょう」

 その花は、桜ではなく向日葵かそれとも。

「本意気で作家さん目指してくださいよ」

 冗談や洒落のつもりなど毛頭ない。

「いやいや、設計の仕事なんかしてないで、籠もって書いているだけの」

 それをして、すぐに財布が落ち葉よりも軽く薄くペラペラになったから、出稼ぎをしているのである。
 不思議なありがたきご縁を経て、今こうしてはいるが、根無し草には変わりない。

「生活の心配がなければ、またその生活をしたいですか」

 すべきである。
 当時は療養を兼ねていたので、まだ逃げ場があった。
 それは、壁でもあったのだが。

「だけどそれも楽でよさそうですよね」

 楽である。

 が。

 書くことにまつわることだけの日々は、同時に苦でもあることを忘れている。

 とはいえ、わたしは苦であるなどと思ったわけではない。
 やりたいことをやるからには、苦など感じることはないのである。

 うむ。

 普通に働き、
 普通に過ごし、
 普通に暮らす

 ことが苦に思えるのは、それは幸である。

 それを、線の手前で傍観せざるをえないのだから、仕方がない。
 仕方のあることを、仕方の限りでやるしかないのである。

 わたしよりよっぽど仕方があるものは、気まぐれに仕事の傍らで書いてみるのがよいと思うのだが、その気になるかならないかの違いしかそこにはないのである。

 桜が咲いたら、高楊枝でそう言ってみるのもよいかもしれない。


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