昼食を高知ケンと共にした。
名を変えての登場だが、かつての後輩であり、今の職場で再会をはたした不思議な縁があるものである。
「遅まきながら、新年会兼ねて昼飯でもどうっすか」
彼がいいだしてから、もう二十日もすれば桜が咲くという今の今まで延期されていた。
待ち合わせに、いつものごとく、わたしは十分ほど時間を惜しむことなくかけておもむく。
「やあやあ、どうもどうも」
わたしに気がついた高知ケンは手を振る。
まるっきり「阿房列車」の某氏じゃあないか。 それなら、とわたしも真似て「どうもどうも」と返す。
ところで百ケン先生は、けっして「どうもどうも」をよしとしない。
「何が「どうも」なのかわからないのだが、本人がそういうなら不思議だがそのままにしておこう」
どうやら、よしとしないほどのことではなかったようだ。
「いつもの店でいいですか」
いつももなにも、前に二度だけ行った定食屋じゃないか。 いやたしかに、今までその二度しか、彼と昼食を共にしていないのだから、そういっても間違いではないのか。
わたしが答えるのをほったらかしにして、ずいずいとその店に向かって歩き出していた。 不平や不満、文句をこれっぽっちももつわけでもなく、わたしはユルユルと彼を追いかけた。
先にいって席をとってくれるならそれに任せよう、などと都合のよいことを考えていた。
まさに、まるっきり「阿房列車」である。
「いやいやいや、すごい並んでますよ。ほかにしますか」
高知ケンの言うとおり、すごい行列である。 けっきょくまた彼の後についてゆき、洋食屋に入っていった。
久しぶりに、オムライスのメニューを目の前にした。
「ぼくはハヤシとハッシュドビーフと迷ってるんですけど」 「ハッシュドにしよう。ハヤシなら、松本楼でも食える」 「マジっすか。さすがですね」
なにが「さすが」なのか、からかい文句のつもりなのかもしれないが、気にすまい。
なにせ、目の前にはもう「ハッシュドビーフのオムライス」が、トロトロと湯気と香りをたたえ、鎮座ましましているのだ。
うむ。 久しぶりに堪能した。
「じゃあまた。次は花見しながらにしましょう」
その花は、桜ではなく向日葵かそれとも。
「本意気で作家さん目指してくださいよ」
冗談や洒落のつもりなど毛頭ない。
「いやいや、設計の仕事なんかしてないで、籠もって書いているだけの」
それをして、すぐに財布が落ち葉よりも軽く薄くペラペラになったから、出稼ぎをしているのである。 不思議なありがたきご縁を経て、今こうしてはいるが、根無し草には変わりない。
「生活の心配がなければ、またその生活をしたいですか」
すべきである。 当時は療養を兼ねていたので、まだ逃げ場があった。 それは、壁でもあったのだが。
「だけどそれも楽でよさそうですよね」
楽である。
が。
書くことにまつわることだけの日々は、同時に苦でもあることを忘れている。
とはいえ、わたしは苦であるなどと思ったわけではない。 やりたいことをやるからには、苦など感じることはないのである。
うむ。
普通に働き、 普通に過ごし、 普通に暮らす
ことが苦に思えるのは、それは幸である。
それを、線の手前で傍観せざるをえないのだから、仕方がない。 仕方のあることを、仕方の限りでやるしかないのである。
わたしよりよっぽど仕方があるものは、気まぐれに仕事の傍らで書いてみるのがよいと思うのだが、その気になるかならないかの違いしかそこにはないのである。
桜が咲いたら、高楊枝でそう言ってみるのもよいかもしれない。
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