「隙 間」

2009年03月01日(日) 「カフーを待ちわびて」「余命」「へばの」

 今日は映画サービスデーである。

 まずは、

「カフーを待ちわびて」

 宝島社エイベックス社主催の「第一回ラブストーリー大賞」大賞受賞作。
 恥ずかしながら、わたしも投稿したコンテストである。

 正直な感想。

 これは、よい作品である。

 じんわりと、泣ける。
 ぞわぞわと、全身の真ん中が震えていた。

「カフー」とは、よい知らせ、幸せ、という意味。
 沖縄の小島におばあと暮らす玉山鉄二演じる明青。幼い頃に母親に捨てられた明青は、ずっと独りでいた。
 島興しの視察先でいった内地の神社で、絵馬にひとつの願いを込める。

「嫁にきませんか。
 幸せにします」

 友人らに追い立てられ、苦し紛れに掛けた絵馬だった。
 その絵馬を見て、「お嫁にしてください」と、突然現れたマイコ演じる幸。
 過去をあまり話さないまま、ふたりの暮らしがはじまってゆく。
 島興しのリゾート開発の話が進んでゆくなか、幸がそれに関わる人間ではないかと、疑念が湧き上がる。

「夏が終わっても、ずっとここに居てもいい?」

 幸の本音の言葉を信じきれずに明青は、自分の気持ちに嘘をつく。

「一、二、三……」

 我慢しなきゃならないとき、ゆっくり数えるんだよ。

 幼い記憶の中で、母親が教えてくれたことだった。
 ずっと、枕を胸に押し当て数え続ける。

 幸は、リゾート開発なんかとはまったく、無関係だったことを知る。

 立ち去った幸を追いかける明青。
 幸はこの島に、返さなければならないものがあるといっていた。
 そしてもうひとつ、絵馬を返しにあの神社にゆくはず、と。

 幸と明青のふたりの過去。
 幸がきたときにおばあが言っていたことば。

「あの子を幸せにしてやりなさい」

 カフーを待ちわびて、ふたりは出逢ったのである……。

 わたしも、さっそく絵馬をかけにゆきたい衝動にかられた。

 カフーは寝て待て。

 やるべきことをしっかりとやった者のみが、いえることばである。

 うむ。
 常に寝てばかりいるわたしには、まだまだ、かもしれない。

 もとい。

 この作品、等身大の世界観で包まれた、胸にしみる作品である。
 さて二作品目。

「余命」

 松雪泰子主演作品。
 神保町のとある古書店の窓ガラスに貼られたポスターで、以前から見かけていた。

 大学病院の外科医である滴(しずく)は、かつて乳癌を患い片方の乳房を全摘出していた。
 元医師のしがないカメラマンである夫と十年にして念願の子どもを授かる。

 その矢先、胸に悪夢を甦らせるしこりをみつけてしまう。

 三十八歳の自分には最後の出産のチャンス。

 外科医である彼女には、再発の恐ろしさと生存率と余命と可能性が、十分にわかっていた。

 夫の安定しない仕事、何よりも自分を大切にしてくれるやさしさ。

 打ち明ければ、子どもを諦めて治療に専念するようにいうことがわかっている。

 滴は、夫に舞い込んだ長期の、予定日ギリギリまでかかる仕事を受けるようにいう。

 ひとりで産み、耐えるために、医師の仕事は既に辞めて。

 癌組織は、胎盤に阻まれ、胎児に影響を及ぼすことはない。
 ただし、癌の進行を早めることにも、なる。

 滴に言われたとおり、沖の鳥島へのアホウドリの調査団に同行するため、夫は旅立つ。
 予定日よりひと月早く陣痛がはじまり、一向に連絡がない夫は、やはり帰ってこない。

「罰が当たった」

 とつぶやき涙する滴に、同室の妊婦が手を握る。

「いいじゃない、罰でも。新しい命が、全部洗い流してくれるわよ」

 産後、家に閉じこもり、ひとりきりで子育てする滴。
 同期の親友が訝しんで訪ねてくる。

 室内には、ひと嗅ぎでわかるほどの、癌患者特有の組織臭が漂っていた。

「夫が帰ってきたら、そうしたら治療にゆくから」

 やがて倒れ、緊急入院した滴の元に、はじめてすべてを知らされた夫が帰ってくる。

 残された時間は、あともうわずか。

「わたしが生きていた証しを、あなたとわたしが愛し合っていた証しを、託したかった」

 治療せずに産むことを選んだ理由を、伝える。



 隣の女子たちが、ジュルジュル、グシュッ、としていたので、女性は泣かされることは間違いない。

 ほかのひとよりも知っている、ということは、
 ほかのひとよりも、つらい、

 ということがある。

 投げ出したくとも投げ出せない。
 見たくなくとも、
 見えてしまう。

 愛するひとになら、なおさら。

 エンディングの歌だけが、不満であった。

 メッセージ性というだけでなのかは知らないが、なんでもかんでもラップ調にすればよいのではない。

 それを除いて、なかなかの作品、かもしれない。

 そして本日最後のトリは、場所を銀座から東中野に移して

「へばの」

 どうしても、見逃したくなかった作品である。

 とはいえ、はじめから知っていたわけではない。
 作品候補を並べているうちに、上映が銀座界隈ではなく東中野のみ、という時点で除外して当然だった。

 しかし、脳裏の闇の奥に消し去ったつもりが、決して消すことのできない黒い沁みとなって、やがて「それありき」となっていたのである。

 青森県六ヶ所村。
 核燃料再処理工場で働く治と、その恋人の紀美。

 普通に結婚し、子どもをもうけ、新しい家庭を築く。

 そんな、ごく普通の幸せを思い描いていた。

 しかし工場での作業中に、治はプルトニウムの内部被爆(吸引)をしてしまう。

 被爆した細胞が破壊されてしまえばよいのだけれど、生き残った細胞はそのまま分裂してゆき、癌、白血病で本人に現れるだけでなく、遺伝として、何代か後の子孫にそれが現れてしまう。

 治との結婚、子どもを欲している紀美の前から、治は姿を消してしまう。
 紀美の父は、

「村のため、あしたのため」

 と、核燃料再処理施設に計画の当初から関わり、貢献してきた人物だった。

「こんな村では子どもを育てられない」

 と、紀美だけを残し、母親が息子を連れて村から出ていってしまったとしても。

「わは、この村で、紀美と孫と暮らすのが夢だ」

 治に、紀美に語っていた。
 その父が亡くなり、それを新聞で知った治が、紀美の前に三年振りに現れる。

「まだ、わの子が欲しいか」

 かたときも忘れることなく、治を待ち続けた紀美は、ためらいなく肯き、再処理工場の前の海辺で結ばれる。

 車内で目を覚ました紀美は、治の姿がないことに気づく。

 しかし、治の戻りを待たずに、車を走らせ、紀美は帰ってゆく。

 治は、工場の立ち入り禁止地区内(放射能廃棄物埋設区域)に、ひとり立っていた。

「わは、ここにいるよ」

 銃声に命を断たれる。
 いや、絶ってもらう。

 紀美は、結ばれている最中に治に「どっか行こう。東京でもどこでも」と言われて、答えた。

「わは、ここにいる」

 自分の子孫を未来に残してはならないと覚悟を決めていた治。

 それでも自分の体に治の子を宿し、再処理工場のあるこの村で生きてゆく覚悟と強い意思を決めた紀美。

 そして、紀美は治の子を宿し、産む。



 これは、メッセージである。
 核の施設と共に暮らし、生きてゆく、という現実に対する。

 原子力発電なしに、今の社会は成り立たない。

「エコ」という名の下に電化が推奨され、電力の供給源と環境破壊、汚染が、同列として認識されていないところがある。

 核廃棄物の行く先は、ただ地面に深く埋めるだけである。
 完全な無害な再利用技術は追いついていない。
 埋設候補地を、自治体に助成金という餌で募らねばならない有り様である。

「人間は、生きているかぎり、常に被爆している。
 だから気にすることはない」

 紀美の父が、悩み苦しむ治にかけた慰めの言葉。

 電化製品の恩恵に預かり、もはや無しには生活など考えられないわたしは、覚悟をしていなければならない。

 後世に残してもよいのかどうか、も含めてである。

「へばの」とは青森県の方言で、「それじゃあね」「またね」の言葉である。


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