小雨が水面の合間に溶け込んでゆく池から、スワンが、わたしを見下ろしていた。
ひっそりと静まり返った、人気のない夜の池である。
ぎょっと立ち止まり、体がすくんだ。 冷やされた空気が風となって、池を渡り、わたしに吹きつける。
そろそろ散髪にゆこうと思っていた前髪が、まぶたをちくちくとつっつき回す。
ゆらり、とスワンが身震いしたように見えた。
「やあ、こんな夜分にいったいどうしたって」
淵のロープ杭に阻まれ、どうやらこちらにくることをあきらめたらしい。 わたしはスワンの向こうを見やり、ははあ、どうやらもやい紐が緩かったかして、解けたのを幸いとここまで風と波に流れてやってきたのだな、と見当をつけた。
空っぽのスワンの腹が、薄明るい街灯に透けて、ひょおひょおと鳴いている。 薄ら寂しい、何かがそこに収まるのを手ぐすね引いて待っているようだった。
「やあ、初見で恐縮なんだけど頼みがあるんだ」
わたしは黙ったままじっと、目を細めてスワンを見つめたまま、耳を澄ます。
びゅうびゅうと風が耳のまわりを渦巻き、しっかりしていないと一緒に流されてしまいそうだった。
「聞こえているのかい。耳をふさぎたくなるような風だけど」
強いわりにはあたたかい、やわらかい綿アメのような風だった。
「聞こえないふりかい。べつに、とって食おうなんてことは考えていないよ。ただちょっと、腹に収まって力になって欲しいんだ」
キイコキイコと、軋む音がうつろに水面を波立たせる。
「腹に収めるって、誤解しないでくれよ。ほら、そういうんじゃないってば」
わたしはあらためて、ぽっかり空いたスワンの腹を透かし見る。 すると、グウゥと、腹が鳴いた。
あすこに収まっているわたしの姿を想像してしまった。 ざわ、と水面が波立ち、木々がわさわさとかぶりを振る。
びゅん、と強い風が頬を殴りつけた。
そむけた目のかたすみで、スワンがぐらりと全身をひと揺すりする。
わたしが風に押されてたたらを踏んだのかもしれない。
「ふん、まあいいさ、きみじゃあなくったって」
負け惜しみのようなつぶやきが、波のしじまに消えてゆく。
わたしはスワンとは逆のほうに、ようやく足を向けることができた。
頭上でざわざわと、風にあおられた木々の枝葉がざわめき、わたしは大通りへと送り出された。
忍び足で、そそと振り返らずに立ち去った。
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