「隙 間」

2009年02月13日(金) ゆらゆら池

 小雨が水面の合間に溶け込んでゆく池から、スワンが、わたしを見下ろしていた。

 ひっそりと静まり返った、人気のない夜の池である。

 ぎょっと立ち止まり、体がすくんだ。
 冷やされた空気が風となって、池を渡り、わたしに吹きつける。

 そろそろ散髪にゆこうと思っていた前髪が、まぶたをちくちくとつっつき回す。

 ゆらり、とスワンが身震いしたように見えた。

「やあ、こんな夜分にいったいどうしたって」

 淵のロープ杭に阻まれ、どうやらこちらにくることをあきらめたらしい。
 わたしはスワンの向こうを見やり、ははあ、どうやらもやい紐が緩かったかして、解けたのを幸いとここまで風と波に流れてやってきたのだな、と見当をつけた。

 空っぽのスワンの腹が、薄明るい街灯に透けて、ひょおひょおと鳴いている。
 薄ら寂しい、何かがそこに収まるのを手ぐすね引いて待っているようだった。

「やあ、初見で恐縮なんだけど頼みがあるんだ」

 わたしは黙ったままじっと、目を細めてスワンを見つめたまま、耳を澄ます。

 びゅうびゅうと風が耳のまわりを渦巻き、しっかりしていないと一緒に流されてしまいそうだった。

「聞こえているのかい。耳をふさぎたくなるような風だけど」

 強いわりにはあたたかい、やわらかい綿アメのような風だった。

「聞こえないふりかい。べつに、とって食おうなんてことは考えていないよ。ただちょっと、腹に収まって力になって欲しいんだ」

 キイコキイコと、軋む音がうつろに水面を波立たせる。

「腹に収めるって、誤解しないでくれよ。ほら、そういうんじゃないってば」

 わたしはあらためて、ぽっかり空いたスワンの腹を透かし見る。
すると、グウゥと、腹が鳴いた。

 あすこに収まっているわたしの姿を想像してしまった。
 ざわ、と水面が波立ち、木々がわさわさとかぶりを振る。

 びゅん、と強い風が頬を殴りつけた。

 そむけた目のかたすみで、スワンがぐらりと全身をひと揺すりする。

 わたしが風に押されてたたらを踏んだのかもしれない。

「ふん、まあいいさ、きみじゃあなくったって」

 負け惜しみのようなつぶやきが、波のしじまに消えてゆく。

 わたしはスワンとは逆のほうに、ようやく足を向けることができた。

 頭上でざわざわと、風にあおられた木々の枝葉がざわめき、わたしは大通りへと送り出された。

 忍び足で、そそと振り返らずに立ち去った。


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