| 2009年02月08日(日) |
「イエスタデイズ」とほくそ笑み |
「イエスタデイズ」
を昨日、ギンレイにて。 本多孝好著「FINE DAYS」が原作であり、塚本高史主演。 爽やかな作品。 しかし、浅田次郎の「地下鉄(メトロ)に乗って」の映画を観ているものとしては、やはり「格の違い」を感じてしまう。 物語にせよ、役者にせよ。
父親にずっと反発してきた息子が、末期癌の父親から「学生時代に別れた恋人を探して欲しい」と頼まれ、スケッチブックを渡される。 絵描きを目指していた頃に父が描いた、当時のスケッチが何枚も描き綴られていた。 手がかりはそれだけ。 二人が暮らしていた古アパートを訪ねてみると、そこには、当時の父とその恋人が、仲睦まじく幸せな日々を過ごしていた……。
タイムトリップのきっかけが、その父親がかつて描いたスケッチなのだけれど。
あれに似ている。
何がといわれると、わたしが小説を書いているときが、である。
ただそれだけなのだけれど。
さて、今日は休日出勤をたのまれており、午後からの出社だった。
休日に社内に入れるIDカードをわたしは持っていないものだから、入るために上司のツ氏の手ほどきをえねばならず、待ち合わせをした。
生涯で、おそらく五度目であろうスタアバックス。
長くそこにいるつもりは毛頭なく、時間の五分前に店の外からツ氏が来ているかどうかを見にゆくことにした。 それまでは、ドトオルにてくつろぐ。
さて時間が近づき、五分といわず、十分前に店の前に着いた。
中をのぞいても、ツ氏の姿は見えない。 柱の影や、もしや机の下にいるのでは、と身を屈めてのぞいてみたが、やはり姿はない。
体を起こしたわたしと店員の目があってしまい、たじろいでしまいそうなのを押し隠し、なにくわぬ顔で咳払いをする。
ここでひくわけにもいかない。
「珈琲を、持ち帰りで」
えらぶった口調でいわなくては、足元をみられる。 なにせ、つい今しがたまでは、自分がみていたのである。みられても困りはしないが、気持ちのよいものではない。
さてあとはツ氏が現れるのを待つだけ。 わたしはなるべく柱の影や机の下に隠れてしまわないように、外からも入口からも見通しがきく席に座り、背筋を伸ばして待つ。
ほどなく電話が震えだし、ツ氏からのもので「今から迎えに下りてゆく」とあった。
わたしはすぐに席を立ち、飲み差しの珈琲を片手に店を出た。
関係者入口の前で待っていると、ガチャリと鉄扉が開き、「どうもどうも」とツ氏が出てくる。
生涯でおそらく五度目であることなどをツ氏に話すと、「珍しいひとだね」と驚かれ、「でもそういえば、石氏も似たようなことをいってたよ」と笑った。
石氏は、出向先でわたしの上について共にツ氏の手伝いをしてくれた、上司でありパアトナアだった人物である。 凸凹コンビとして、石氏は超一流建築会社のベテランであるにもかかわらず、たいへんよくしてくれた方でもある。
そうですか、やっぱり石氏もそういってましたか。
なにが「やっぱり」なのかはツ氏には想像できないことではあるが、わたしは隠すことなく、ほくそえんだ。
そうして仕事をさばいていると、上司のツ氏が「そろそろ帰ろっか」と持ちかけてきた。
時計をみると、夕方の五時を過ぎた頃である。
「帰ってサザエさんを観なくちゃ」
そういわれて、ああなるほど、と手を叩く。
「サザエさんを観て、鬱な気持ちにはならないんですか」
と聞いてみた。
ツ氏は「何で」と不思議な顔をした。 「これで休みも終わり、明日はまた仕事だ」という気持ちにはならないらしい。
休日に仕事をしに出てきているのだから、今さら「明日は仕事だ」もなにもない。 いわんや、今日は「休日だった」と認識するために、あえて観る必要があるに違いない。
六時間を過ぎた頃合いである。
まだなんともないが、せっかく帰りたいという気持ちを吐露してくれたツ氏の心意気を尊重すべきである。
「では帰りましょう」
わたしがそそくさと片付け終えて振り返ると、コートにマフラをしっかり締めたツ氏が待っていた。
冷たい潮風が吹き荒ぶなか、ふたり肩をそびやかして足早に帰ってゆく。
片方は家族が共にサザエさんを観るために待つものだから、残りの片方は所在なく、ぼうっと駅をひとつ乗り過ごし、慌ててとって返したりする。
とって返して、ぐいっとぐいん最新刊を読み切る。
栗本薫女史も、もはや現人神である。
神とはいえ、あのような状態に日々ある彼女に、わたしなぞ程度が負けていては申し訳ない。
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