「隙 間」

2009年01月30日(金) 御用聞きのコンクリイト塀

 今月に入ってから、ずうっと、ほぼ毎日、束の間眠りこけてしまっている。

 日中は大丈夫だが、ちょうど日が沈み、帰路につき、途中の馴染みの店で一服つきながら、本を開いたりペンでこめかみを突っついたりしている頃に、こけている。

 自転車にようやく補助無しで乗れるか乗れないかくらいのときを思い出す。

 ハンドルを固定することができず、こきざみに右や左にぷるぷる揺らしながら、次第に横の塀だったり側溝だったりの方へとすり寄ってゆく。

 たとえば右にコンクリイト塀があるとしよう。

 道の真ん中からこぎだしたはずなのに、ぷるぷる暴れようとするハンドルを止めるのに必死で、まだ平気と放っておく。

 右に、三回。
 左に、一回。

 くらいの行ったり来たりを繰り返すうちに、塀がすぐ隣にまで、駆け足ですり寄ってきている。

 こちらには塀に用はないというのに、まるで酒屋の御用聞きが、

「空き瓶はございませんか」
「醤油は切らしてやいませんか」

 留守を任された子どもに、慇懃無礼に詰め寄り、勝手口から靴を脱いで上がり込もうとするような勢いで、コンクリイト塀が迫ってくる。

 右ではない、左だとわかっているのに、いっこうに左に行けない。
 行けないから、せめて真っ直ぐに、と思っているのに、塀の方から寄ってくる。仕方がないから、やはり左、と思っても、行けないのだからさらに仕方がなくなる。

 コンクリイト塀で体の右側をしこたま擦り切って、そうしてからアスファルトの地面に転倒してさらに痛い思いをして、コンクリイト作とアスファルト作の擦り傷を、ふたつ、こしらえるか。

 それなら初めからアスファルト作の擦り傷だけの方がまだましだろう。

 そう思い、言い聞かせようとしてみるが、どちらも痛いものは痛い。血も出る。服も破けるかもしれない。
 消毒液がしみる痛さだって、たまらない。

 そう、まさに八方ふさがりになってしまう。

 あとはぷるぷる揺れるハンドルと御用聞きのコンクリイト塀に聞いてくれ、となるのである。

 そうして幼いわたしを乗せた自転車はコンクリイト塀に、今のわたしはぷつりと何もない、存在感すらない眠りへと向かってゆく。

 せいぜいが五分か十分程度だが、空白が挟まった記憶をつなぎ直すのは、労を要する。

 わたしは、なるだけ労とは疎遠でいたい。
 だから困らないかぎり、ばらけていようが何かが挟まっていようが、そのままにしておく。

 わたしの中でばらけていようが何かが挟まっていようが、外から見たらただのわたしに変わりはない。

 そうであれば、無用の労はなるだけ避けるべきなのである。


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