今日は健康診断だから、検査が終わるまでは朝食や菓子、ジュースの類いをとってはならないと達しがきていた。
それは当たり前のことではあるが、さらに朝食をとらないのもかまわない。しかし、ガムまで不可と書かれていて困った。
わたしは勤務中、常にガムを口に含んでいる。
唾液が渇いてしまわぬよう、口中に何かを含ませていたいのだ。 何も含まなければ口が渇く状態になり、不快に思うことになる。口中が渇くと、最初のひと声がうまく発音できない。
もし、名前を呼ばれて返事をしなければならないことになると、返事ができない。
渇いて貼り付いた咽喉をこじ開け、ようやく声の通り道を広げたところで、天井にやはり貼り付いた、機敏とはいえない舌を、もそもそと邪魔をしないところへよけてやらなければならない。
機敏ではないから、なかなかよけようとしない。
そうしてよけるのを待つうちに、「んむむ」とタイミングを逸してしまうのだ。返事がないがために来ていないものと思われ順を飛ばされてしまってはたまらない。
だから、ガムは含んでおこう。 診断の前に捨てればよい。
いざ診断となり、検査会場と書いた紙が貼られた講堂に入る。何十人、いや百を超えるかもしれない人数の大人が、行儀よく静かに並んでいる。 検査内容ごとに分かれて、その前に順番待ち用の椅子が、ずらずらと並べられ、それに皆が腰掛けているのだ。
ひとり呼ばれて、ひとつ椅子が空く。 空いた椅子に、となりの椅子のものがずれてまた腰掛けてゆくのだ。
この光景は、最初、何かと似ていると思ったが、ようやく確信がもてた。
まるで、缶詰め工場のベルトコンベヤアのようではないか。
粛々と順は流れてゆく。 中身はサバであったり、アサリであったり、またはコンビイフだったりと、ばらばらの缶詰めなのかもしれないが、それはそれでよいだろう。
順調に工程をこなし、いよいよ採血の番となった。
わたしもだてにそう何度も採血をされてきたわけではない。 シャツの袖をまくり、手のひらを上にして親指を握り込む。
これは、京都の黒髪の乙女いわく「おともだちパンチ」の握り方らしい。
しかしその拳は、今は愛と情を伝えるためにこしらえたわけではない。婦人医師、看護士かもしれないが、彼女の消毒綿が、わたしの青い血管を撫でようとする。
「あら、こっちのほうにしようかしら」
いつも選ばれていた血管ではなく、もっと外側の横のほうの血管に、やにわに白羽の矢が立てられた。
わたしは驚いた。
まさか、そんな横のほうの、たしかに浮き出てはいるが、それが選ばれるとは思ってもみなかったのだ。
わたし以上に、血管たちも驚いているようだった。
選ばれなかったほうは、せっかく万事怠りなしと身構えていたのがあてが外されてしまったので、さあ自分に来い、とぴくぴく主張している。
選ばれたほうは、まさかと完全に油断して、思うままに浮き上がったりしていたのと、今まで経験したことがないことを、突然、しなければならなくなったので、ぴくぴくと動揺している。
わたしは、最初に驚きはしたものの、注射針を右に突き立てようが左に突き立てようが、結局針をちくりとされることに変わりはないのだから、とうに観念している。
ぷすりと、動揺覚めやらぬほうの血管に針が突き立てられ、とくとくと注射器の試験管に、血液がこぼれてゆく。
ワインではなく、しっかりと熟成されて最後の一滴まで搾られた葡萄ジュウスのようだった。この果汁の成分分析の結果が、いったいいかなるものとなるか。 結果がわかるまでは、どうしようとわたしには知りようもないので、余計な心配はしない。
わたしから出ていったものは、たとえ血液だろうと、どうしようもないのだ。
すべての検査工程が終わり、待ちきれないわたしの胃袋が、くう、と鳴いた。
いや、
「食う」
といったつもりなのかもしれない。 昼休みまでのあと少しが、待ち遠しかった。いつもとさして変わりないはずだが、いつもは、身体に入れることはあっても、本来なかにあるべきものを外に出す、といったことはしない。
何もないところに何か入れて満たそうとするだけでなく、なくしてしまったものを取り返そうとする意欲が、激しさをましている。
たかが小指三本分ていどのことで、なんとも大げさなことである。
わが胴を見よ。
ことさらに動揺することなく、淡々としているではないか。 出張ること控えめに、楚々とたたずんでいる。
胴、ということなく泰然自若としている姿は、慧眼に値する。
|