| 2009年01月03日(土) |
なむなむと「グーグーだって〜」と覚え書き |
ちょっとの外出にも熱はぶり返さず、風邪に関しては問題ないようになった様子です。
さて。
初詣に行ってきました。 まずは氏神様である、根津神社へ。
おさらいです。
根津神社の御祭神は、ざくっと有名なところで……
素戔嗚尊(スサノオノミコト) 大国主命(オオクニヌシノミコト) 菅原道真尊(スガワラノミチザネノミコト)
です。 菅原道真公といえば、ちょいと足を伸ばしたご近所にある湯島天神ですが、わが家から徒歩五分のこちらでも、かろうじて拝めるわけです。
毎日、道一本向こうを闊歩して帰っているなら、不精せずにお参りせいと言われそうですが……。 ちなみに根津神社をひらいたのは日本武尊(ヤマトタケルノミコト)だとか……なむなむ。
さあ、おみくじです。
「夜は短し〜」の黒髪の乙女よろしく、なむなむ、と小槌を振りました。
末吉
……。 なむなむ、と唱えながら左手でわたしの一年のやる気を消沈させんと目論む、やんちゃな神様のいたずらがきを、もやいつけました。
冗談の振り方をよくわきまえていらっしゃいます。 さすが力のスサノオ様と智の天神様のコンビネーション。
さあ、種は蒔かれました。 その収穫に、たいそう迷惑そうな顔の大国主命が主祭神でもある、江戸総鎮守の神様「神田神社」へ向かいます。 いつもは歩いてゆくのですが、根の国にちなんで地下鉄です。
地上を歩いていたなら、途中の湯島天神にてリベンジならぬ真意を問うこともできたかもしれません。 しかし地下にもぐってしまったのだからそれも叶いません。途中下車するなど、わたしのワクワクに水を差すような行為に等しいものです。
たったひと駅で降りるなんて、なんて勿体ない。
代わりに、ちゃんと直近の地下のあたりに差しかかったところで、なむなむ、と手を合わせることは忘れませんでした。
さあ、地下深くから、ゴウンゴウンと機械の音と共に地上に現れ、神田神社へとまずは神田川を渡ります。
聖橋
なんておめでたい名前の橋でしょう。 この橋の上から川にレモンを投げ入れ、見えなくなるまで見届けることができれば願いが叶う、という昭和の言い伝えがあるそうです。 そのレモンを購入できたであろう唯一の古くから続いた果物屋さんが、対のお茶の水橋側の通りにあったのですが、二年ほど前から小綺麗なケーキ屋さんに変わってしまっています。
川へのポイ捨てを憂いた結果なのかどうかは預かり知らぬところです。
さあ、環境破壊と背中合わせの淡く甘い追想はグッとこらえ、いざ参らん。
さあ。 さあさあ。
おごそかに参拝をすませ、目の前のちびっ子が「大吉」をひいたらしく跳んで喜んでいる姿を横目に、わたしは巫女さんから籤箱を受け取り、まずは深呼吸します。
なむなむ。
籤を巫女さんから受け取り、開封せずに列を離れます。 あらためて深呼吸をして、おもむろに籤を開きます。
「小吉」
なるほどっ。
天を見上げて、アッハッハッ、と小槌を構える大国様の石像を見上げました。
アッハッハッ。
わたしもつられて愛想笑いです。
左手だけではプルプル震えてしまい、両手でしっかり、もやってきました。
あの親にしてこの子あり。
しかしひねりが足りません。 足りない分は、こちらで足しましょう。
なむなむ。
暗雲立ち込める不況下で、世も「末」と嘆くことなかれ。 大事の前の「小」事と、やがて吉参らん……。
※文中の「なむなむ」とは、「夜は短し歩けよ乙女」作中において神仏宗派を超えた万能の唱え文句として引用されているものです。
さてさて。
「グーグーだって猫である」
をギンレイにて。 ギンレイにおける新年第一号作品が、素敵な女優さんの主演作品だなんて、なんて素晴らしき采配なのでしょう。
実は本当の新年第一号が録画した「メゾン・ド・ヒミコ」だったとしても(汗)
もとい。
小泉今日子さんは、癒されます。 昨年末に観た「転々」でもそうですが、観ていて安心させられる存在感があります。
ストーリー云々を求めてはいけません。
彼女と猫に、ただ癒されてください。
「先生の作品に、すごく勇気をもらいました」
とのファンの言葉に、そっと漫画家先生はつぶやきます。
「あなたほど私は自分の作品からは何ももらってません」
絶妙です。
作り手は得てして、自ら作り出したものからは、大したものは与えられません。
なぜなら。
自らに何かを与えるために作った、または生み出したものではないからです。
自らの内面に湧き出るものを外に形にして出しているのだから、たとえ与えられたとしても、プラスマイナス・ゼロ、です。
では、なぜそんなことをしているのか。
食事のようなものです。 必要な栄養素を摂取するだけなら、調理に手をかけたりする必要はありません。 摂取し、排泄するだけなのですから。 それなら、とレトルトだけで済ませることもできます。
食わねば生きられぬ。 だから、食う。 腹いっぱいになって、もう食えん、となるときもある。 しかし、また食う。 食わずにいられない。
だから、書く。 書かぬことは食わぬこと。 書かずとも生きられる。 しかし、書きたい。 だから、書こう。
書いても食えぬが、食えずとも書ける。
年始の覚え書き……。
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