「隙 間」

2008年12月31日(水) 今年最初で最後と「第一阿房列車」

 年末の再放送ドラマ特番やらを眺め倒してます。
「ごくせん」「ROOKIE'S」やらをはしご見です。

「こころの汗を流そうじゃないかっ」

 ヤンクミ先生。
 あなたがいってくれるなら流しましょう。

「元気がないぞっ。だいじょうぶっ」

 川藤先生。
 だいじょうぶっす。明日にきらめき、夢にときめきますから。

 などと、妄想に翼をはためかせながら……汗

 今年、最初で最後の「あること」をしてしまいました。

 カップラーメン

 です。

 万が一と思い、先日の帰りに一個だけ買って帰ったものでした。

 おおっ。
 カップめんって、そうそう、こんな味だったなぁ。

 コンビニのレンジで温める蕎麦は普段食べているけれど、一応それとこれとは別物だと思っています(笑)

 非常食といえば、

 お節料理

 です。
 日持ちする料理のありがたさを、考えさせられます。
 これから用意するも及ばず、近所のオリジンも正月休みに入ってしまいます。

 さあ、どうしましょう……。

 赤札堂や近所のスーパーやコンビニで、様子を見計らって買い出しにゆくしかないです。

 動かなければ、腹も減りにくいことですし……。
 黒髪の乙女いわくところの「二足歩行ロボットのようなステップ」でしか歩けていないことに気づきました。

 彼女だからこそ可愛らしく描かれているだけなのに、わたしがそれをやってみせたところで変人以外の何者でもありません(笑)

 背中に等身大の緋鯉のぬいぐるみを背負い、丸くて小さなだるまを愛しげに撫で、不埒な輩には敵意をすべて失わせてしまうような「おともだちパンチ」を繰り出す、黒髪の乙女……。

 ああ、下鴨神社が呼んでいる……汗

 さて。

 内田百ケン著「第一阿房列車」

「阿房」で「あほう」と読む。

「阿房と云うのは、人の思惑に調子を合わせてそう云うだけの話で、自分で勿論阿房だなどと考えてはいない。
 用事がなければどこへも行ってはならないと云うわけはない。なんにも用事がないけれど、汽車に乗って……へ行って来ようと思う」

 うんうん。
 百ケン先生らしいです。

「用事がなくて行くのだからよくて、だから帰りは、帰るという用事ができてしまうからよくはない」

 というところもまた、百ケン先生らしくていい。

「箱根や日光やらの観光地は、呼ばれなくても人が行くものというところがありありで、だから、こちらから行ってやるものかと思う」

 ところもまた、百ケン先生らしくていい。

 頑固で自由で反抗的で、見栄っ張りで、見栄とは裏腹だったり、なにかと共感を覚えてしまいます。

 朝発に乗れば夕方のちょうどよい頃に着くのだが、わたしに朝早く起きるなんて無理だ。
 だから昼過ぎに出て、途中で一泊してから行くのがよい。

 そんな百ケン先生が、好きです。

 岡山(故郷)を過ぎるとき、胸がざわざわとしたがおりることはできない……。

 ……わかります。
 なんとなくですが。

 百ケン先生の阿房列車にはヒマラヤ山系君という素晴らしき同行者がいます。
 まるでどぶ鼠のような顔だとか、ネコの死体をぶら下げてるようなバッグを持ってとか、散々ないわれようなのだが、気の置けない間柄というものだからこそのもの。

 わたしの、まさに人生、阿房列車。

「用事がないから一等車で行きたい。それが駄目なら三等車。二等車は嫌だ。乗っている人間の顔が嫌いだ」

「帰るという用事ができてしまうから、帰りは一等車にこだわる必要はない」

 百ケン先生の真似じゃあないけれど……。

 阿房列車はレールをつなぎつなぎ、まだまだ続いてゆきます。

 この一年、まずはお付き合いいただきまして、ありがとうございました。

 そして。

 また来年も、お乗り遅れのないようご乗車くださいますことをお願い申し上げます。

 ……時刻表は御座いません。
 あっても無きに等しいようなもので御座いますから(汗)

 隧道(トンネル)の先には、出口があるものです。

 それぞれの出口に、それぞれの眩しい光が待ってます。

 暗闇に足をとられ、目を失い、さ迷ってしまったとしても、道は出口に続いてます。

 出口は、ひとつ、ではありません。

 さあ、ぼちぼち、ゆきましょう。

 長々とお付き合いくださいまして、ありがとうございました。

 懲りずにまた、よろしくお願い申し上げます。


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