| 2008年11月07日(金) |
「密やかな結晶」と我の消滅? |
小川洋子著「密やかな結晶」
うん。 いいね。 やっぱり、素晴らしいね。 小川洋子さんは。
とある島の物語。 その島は、ひとつずつ、何かが消滅してゆく。 たとえば「鳥」だとすると、鳥を見てもそれがいったいなんなのか、記憶からさっぱり抜け落ちて、やがて存在しなくなる。 身の回りにそれがあるときは、それらを処分しなくてはならない。 処分しないもの、また、記憶からなくならない者は秘密警察の手によって探し出され連行されてしまう。
消滅するものが「小説」ときたときは、ビクリとした。
図書館は燃やされ、書物は天を焦がすほどの炎にくべられていった。 原稿用紙の升目に、文字がおさまらない。それどころか、文字の意味がわからない。
わたしは、そのおぞましさに、恐怖に似たものを覚えた。
やがて消滅するものが体におよぶ。 右腕、右足……。 処分しなくてはならないのに、切り離して今までの他の物のときのように川に流したり焚き火にくべたりすることができない。
消滅するたびに、人々の記憶は空虚になり、薄まっていったが、空虚そのものを抱え込んだまま、暮らさねばならない。 やがて肉体のすべてが消滅し、声だけが残された。
消滅を受けない、秘密警察の記憶狩りの対象とされ、彼女の助けを得て隠れ家にひっそりと息を潜めてきた彼……。
……とにかく、密やかにゾクゾクさせられました。
わたしが書いているとき……。
根本的に「わたし」であることは間違いなく、わたしの知るものやことでないかぎり文字や言葉にできるわけがないのだけれど、だけれども、そこに「わたし」は無いのです。
わたしならこうする、こう言う、という「わたしの思考」がそこにあってしまったら、話になんかなりません。
そして、
「彼(彼女)ならこうする、こう言う」
という判断や分析もまた、しません。 する余地など、まったく存在しないのですから。
そんな「わたし」が、気がつくと、あれよあれよと、書き殴り、ページを繰ってまた書き殴ってゆくのです。
げ、なんで、こんな一幕だけなのに、こんなに枚数がかさんでいるの?
書いている最中は、制止など効きません。 おなじことの繰り返しだとか、取捨選択だとか、それらの判断をする余地が、先ほどあげたように、無いのですから。
ふと、ゾクッとすることがあります。
「わたし」なのか、「わたし」ではないわたしなのか、はて、わたしはいったい、いつどんなとき、「わたし」として考えて行動しているのか、そもそも今、「わたし」なのだろうか。
うん。 こうしてウジウジと御託を並べているのだから、今は間違いなく「わたし」です(笑)
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