★悠悠自適な日記☆
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2005年06月05日(日) |
泣いているおもちゃ箱 |
『物を大切にしよう』
きっと、幼い頃から当たり前のように聞いてきている言葉だ。何故だろう。無駄なものをたくさん買うとお金の無駄遣いだから。物を大切にしないとゴミが増えるから。物を大切にしないとバチがあたるから…。
確かにそれもある。けれども私が最近感じていることは、物の扱い方は、人との接し方に比例するということ。
物を大切にするということは、物を大切に扱う『余裕』がその人の中にあるということだ。汚れたからといってサッサと捨ててしまう。ちょっと磨いてやればまだ使えるのに。ほら、物に気をかける『余裕』がそこにない。見当たらないからと言って、新しいものを買う。ちょっと探せば見つかるかもしれないのに。いや、常日頃きちんと整理しておけばなくならないのに。新しいものを購入することにより、そこにあるはずの古いものはやがて忘れ去られてしまう。物に執着する『余裕』がない。
人との接し方も同じではないか。きっと物の整理が出来ない人は、人の気持ちの整理もできない。いつも散らかしっぱなしで、やりっぱなしで、次々と新しい物に目を奪われては古いものを忘れてしまう。こじれてしまった人間関係も、きっとそのまま修復されることなく、自己完結して次に向かっていく。まわりは?ひっくり返ったあなたのおもちゃ箱をつきつけられる周りの人間はどうなるの?そのおもちゃは誰のものなの?片付けるのは誰なの? 『余裕』がない人は、きっとそこまで考えられない。何故なら『余裕』がないからだ…。
『物と人は違う』と反論する人もいるかもしれない。でも、そんな苦し紛れの反論をする人こそ、物を大切に出来ない人。自分に『余裕』のない人。または余裕がなくなるように自分を追い込んでしまう人だ。身の回りはおろか自分自身の整理も出来ない人だ。
きっと不器用なんだろうな。私も不器用だからよくわかる。だけど、ちょっと気にかけるだけなのに。今、ここにあるものがなくなったら嫌だな。汚れたら嫌だな。だったらせめていつも置いておく場所を決めておこうか。せめてちょっと磨いておこうか。それだけなのに。私は、目の前で物を粗末に扱われているのを見ると、「あぁ、きっと自分もこんな風に大切にしてもらえないんだな…」って悲しくなる。
手に入れた時は大切にしようと決意する。でも、目の前に更に新しいくて楽しくて魅力的なものが出てくると、その決意が鈍って「いつかやろう」に変わる。しかし、世の中の流れは激しくて、どんどん新しいものが出てくるから「いつかやろう」も、やがて忘れられてしまう。
だから、大切にしなきゃ! 大切にしているものは、今、気にかけないと。 やりかけたことは、今、やり遂げないと。 ちょっと散らかったら今、片付ける。 今が大切で、今が勝負なんだ。 余裕を持つことができるのは今なんだ! 古くなった自転車をメンテナンスしながら、散らかった部屋を片付けながら、大切なものと、人について頭をめぐらせています。
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