★悠悠自適な日記☆
DiaryINDEX|past|will
2005年04月18日(月) |
若者はトラウマを作りたがる |
【トラウマ】という言葉はとても素敵だ。みんな大好きだ。横文字でイマドキでカッコイイ!若者はこぞってこの言葉を使いたがる。
【トラウマ】という言葉を広辞苑で引くと、「精神的外傷」と出てくる。つまりは心の傷ということだ。「トラウマやねん。」=(イコール)「私の心は傷ついています。」と、さりげなくアピールすることができる。
普通なら、私達は心が傷ついている人に対し、その事柄を追求して、敢えて痛みを掘り返すようなことはしない。逆に考えると、自分の心が傷ついていることをアピールすれば、誰もその事に関して追及してこないということだ。
私達若者はこのことを上手く巧みに利用している。
自分にとって都合の悪いことがあればすぐに「トラウマやねん。」と言う。そうすれば、相手は気を遣って踏み込んでこない。逃げられる、許してもらえるということだ。その言葉はいつからか、自分を守るための、逃げるための言葉に変形してしまった。
「精神的外傷」というくらいなのだから、本来は、自分が生きていくために障害になってしまうようなことを指すのではないか。それなのに、ちょ〜っと誰かに嫌なことを言われたくらいで、ちょ〜っと何かができないからってこの言葉を連呼する。「私、タタキとかホンマ苦手で、もう、なんていうか、トラウマやねん。」「私な、昔包丁で手切ってから、トラウマで料理とかできんねん。」おいおい、あんたいくつトラウマがあるんだよ…。
「トラウマ」という言葉を使って逃げてしまえば、それ以上の成長はないではないか。そう考えると、自分の人間としての器を狭めてしまう、実に甘くて弱くて依存性のある危険な言葉だ。
若者はトラウマを作りたがる。トラウマと決め付けることで、考えることを、動くことを諦めてしまっている。心がどんどん狭くなって、弱くなっていく。
だけど私はそうなりたくないと思っていて。そんなことを考え始めてから、私は「トラウマ」という言葉をなるべく使わないように気をつけている。嫌なことは、どうして嫌なのか、理論立てて説明できるようにしたいと思っている。そうすれば、ただ「トラウマ」という言葉で処理してしまうよりも解決策が見つかるような気がするからだ。
トラウマ。とても素敵でイマドキで便利な言葉。だけど私はこの甘くて誘惑製の高い言葉に、負けたくないと思う。
|