★悠悠自適な日記☆
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2005年04月15日(金) |
彼氏のそこぢから!(作・鈴江俊郎) |
近々入院することになりました。小学5年生の頃から足の偏平足が原因で外脛骨に痛みが生じて、捻挫のような症状を訴えては歩けなくなっていました。成長の過程で治る場合もるということで様子を見ていましたが、右足から痛みはひいたものの、左足の痛みは消えることなく、これ以上様子を見ても良くなることはなく、このままであれば、芝居も舞踊もできなくなると診断されました。よって、分裂した外脛骨をつなげる手術をします。
思い出せば、この足の痛みとは随分長い間付き合ってきた気がします。昔は足をひとたび「ボキッ!」とやると、1〜2週間は歩けない日が続きました。捻挫のように癖になっていて、しょっちゅう歩けなくなっては母親におぶって学校に行ったものです。
歩けないことを原因に、友達とうまくいかないことがよくありました。みんなと同じペースで歩けない。残酷なもので、「習い事があるからー!」と言って私だけを残して走り去っていった子たちもいます。1学期の終業式、足をひきずって泣きながら重い重い植木鉢を抱え、15分の通学路を2時間かけて帰りました。
足の痛みをかばっているうちに変な歩き癖がつきました。足首が固くなって、爪先立ちができなくなりました。今でも親指側に体重をかけることができません。太ももの内側の筋肉が衰えるため、O脚になります。無意識のうちに足の痛みをかばう為、人より疲れやすくなります。
それでもできるだけみんなと同じように行動したくて、体育もマラソンも休まず参加しました。だけど、登山だけは一度無理して登ると途中で本当に歩けなくなって、足をひきずって、高校ではクラスの女の子にちょっとヒドイことを言われたりして、翌年からはドクターストップがかかりました。演劇をこの先続けることができないかもしれないと医師に宣言されたのもこの頃です。この頃から手術を考えるようになりますが、公演が続き、どうせ勉強しないのに勉強の遅れも気になって、見送ることにしました。
大学に入って、やっぱり本格的に演劇をやることになりました。舞踊もやることになりました。幸い、小学生の頃と比べると、「ボキッ!」とやることもなくなり、痛みも少々和らいでいるのですが、相変わらず体重はかけられないし、1時間半の身体育成法が持ちません。最後の方には跳べなくなって、でもやめたくなくて、、歯をくいしばって跳び続けます。だけど、バレエはやっぱり無理でした。途中から跳ぶことはおろか歩けなくなります。
友達も親も先生も「無理しなくてもいいよ」とおっしゃってくださいます。しかし私にはもはや、それができなくなってしまっていて。ある種の意地のようなものになってしまっていて。
ずっとずっと、この痛みが邪魔でした。コンプレックスでした。痛くてツラくて、思うように動かなくて。見た目ではわからないからズルしていると思われていることもあって。ツラくて苛々して、自分の拳で叩き付けたこともあります。そんな卑屈になっている自分が嫌で、どんどん自己嫌悪に陥って。
動きたいのに、歩きたいのに、走りたいのに、踊りたいのに、私の体にはこんなにも大きく波打つようにリズムが流れているのに、ドクドクと、流れているのに。足だけが、この、ここの、左足だけが、動かない。流れる振動が左足でせき止められる。動かない、動かないんだよ。。。
痛い。痛い。こんな私を見ないで。誰も見ないで。大学に入って、芝居で、舞踊で、みんなが動いている。みんなの足が、柔らかく、高く動いている。こんなにもやりたいのに、怖い。
私は、求められない。左足が動かないから、すると全身が動かなくなるから、だから動けなくて、求められない。置いていかれるばかりで、とりたてて必要ともされていなくて、怖いから、自信がないから、自分から求めていくことも怖くて、きっかけがつかめなくて。 手術をすると、完治までに3ヶ月はかかるそうです。そして、私の症状は少し特殊で、手術をしたからといって、痛みが取れるとは限らないということです。痛みが取れる確立7割、取れない確立3割。私はこの現実を直視するのが怖くて、ずっと逃げてきたのかもしれません。
私の足が動かなくなるなんて。みんなが踊っているのを、私はずっと見ているだけしかできないなんて。どんどん私はいらない、使えない存在になっていく。ただでさえ使い物にならないのに。私は自由なのに、私の心は私だけのもので、こんなにも自由のはずなのに、こんなにも自由がなくって、卑屈な気持ちでいっぱいになるなんて。体が心を縛っていく。正直、動くみんなが、「動くのよ!」って顔している人たちが、ちょっと、憎い。
でも、違うんです。本当は、知っているんです。
楽しく踊れないのは、足が動かないからではなくて、心が動かないから。足の痛みは本当にツライのだけれど、動きはかなり制限されてしまうのだけれど、気持ちの持ちようで、もう少しポジティブになれるはずです。だけど、今の私は、全く心が動かない。体をほぐしていて、歌をうたっていて、その空虚感に、そこになにもないことに、発狂しそうになります。
自分で、自分が嫌な子になっているということが分かります。こんなにも邪悪な私がいるなんて。動けなくて、使えない上にこんなにも邪悪だったら、もう、自分に価値はないじゃない。そこにいなくていいじゃない。いや、もうすでに、私はそこにいないではないか!
もっと元気になりたいのになぁ。でも、その方法がわからなくて、私は迷走している。私ひとりの闘い。苦しい。痛い。痛い。。。
鈴江さんから、劇団八時半の公演でお手伝いしない?とせっかく勉強の機会を頂いたのですが、今回は見送ることになりました。公演を観ることができるかどうかですらちょっと微妙なので、相当がっかりしていたのですが、鈴江さんからの励ましのメールが少し可笑しくて。
「薄幸の美少女、手術に立ち向かう、の図、だね。(中略)入院して彼氏がいたらすごく絵になって盛り上がるのに。急いで作れ!!」
とのことでした。私に相方さんがいることを知らないでいるのか、それとも知っていて皮肉でこんなことを言っているのか、まあ深く追求しませんが、なんだかこんなにもかる〜いお返事が少し嬉しくて。最近重い悩みばかり抱えていたので、しかもあの厳しい鈴江さんからこんなゆるゆるメールがいただけるなんて、ちょっぴりハッピーなのです。私のこと、美少女って言ってくれてますし(笑)
まぁつまりは一人で寂しい時は彼氏に力を借りちゃえ!ということのようです。私は勝手にそう解釈してます。
その彼氏とやらについて悩んでいるのがきっとここまで卑屈になっていじけている原因のひとつでもあるのですが、どうなのでしょうか。私は力を借りることができるのでしょうか?わがまま言ってもいいのでしょうか?甘えてもいいのでしょうか?
「彼氏のそこぢから」が見たいものです。
よし!上手くまとめたぞ!!(笑)
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