★悠悠自適な日記☆
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2004年08月17日(火) あいせない。

 私は、家族を愛せません。

 それは、家族に対して意地になっているとか、反発しているとかではなく、何かが欠落しているような感覚です。嫌いなのではなくて、何も思わない、思えないということです。

 例えば大好きな人が風邪を引いて苦しんでいたら、なんとかして元気になってもらいたいと思うし、その人が苦しんでいるのを見ていることができません。友達や好きな人に対してはそんな感情が自然と沸いてきます。

 しかし、母や父に対して、何故かそういう感情が起こらないのです。熱が出て、しんどいと訴えられても、「じゃあ薬飲んで寝とけば?」くらいにしか思えないのです。病院に連れて行って欲しいと言われたら、私は連れて行くでしょう。でもそこで、私はある感情が欠落しているのです。同じ家族でも、弟やおじいちゃんに対してはその感情が沸いてくるのに、父と母にはどうしても沸かないのです。

 幼い頃、母は私の苦痛の叫びを聞き入れてくれなかったし、私も両親の期待を裏切りました。そして、父は母と、子供(私と弟)を裏切る行為をし、私は父の娘であることを、母は私の母親であることを放棄しました。気がつけば、私達親子の間には何もありませんでした。

 私を産んでくれたこと、育ててくれたことにはとても感謝しているけれど、でもそれは私にとって、TV番組にスポンサーが付いているのと同じ感覚なのです。お金の援助をしてくれて、ありがとう。

 友達は、母親は友達のような存在で、相談にのってもらったり、一緒に買い物をすることはとても楽しいらしいです。でも私は母と30分以上の買い物はできないし、家族で食卓を囲んでも、ちっとも楽しいと思えないのです。絶望はないけれど、そこに愛もありません。この部分の欠落が、まるでとても人間として欠陥があるようで、それを目の当たりにするのがつらいのです。

 私は元々インドア派で、家に篭っているのが好きです。しかし、私は家で家族と共にすると、自分の目が暗くすさんでいくのが自分で分かります。愛したいのに、愛せない。だから私は、他の人から明かりを分けてもらうために外に出ます。そうやって自分本来の目の輝きを保たなければならないのです。

 忙しい毎日を送っていると、ふと安らぎが欲しくなります。だけどそれを私は家に求めることはできなくて、私はなるべく一人になれる夜の遅い時間を狙って帰り、生活の時間をずらしています。親と同居しながらも別居のような生活です。

 一度崩壊したものを修復することは不可能です。それならば私は家を出て、一人になりたいと思います。でも、一人になるだけではきっとダメです。誰かを真剣に愛したいです。愛して、愛して、どうしようもないくらい愛しい気持ちを、家族との間に築きあげられなかったその気持ちを、そんな気持ちが私の中にも宿っていることを確認しておかないと、私は、家族だけでなく、心の底から人を愛することができなくなってしまうような不安に駆られるのです。

 私は電池の抜けたおもちゃにはなりたくなくて、心の底からの動力をぶつけたいのです。

 好きになりたい。愛したい。触れ合いたい。心の底から。
 


嶋子 |MAILHomePage

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