★悠悠自適な日記☆
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2004年06月04日(金) 交換日記

殺した小学生の言い分は、仲が良かった女の子に、チャットで嫌なことを書かれた。だから殺そうと思った…らしいです。

インターネット利用による波紋がまた広がります。インターネットによる交流が教育にとってうんぬんかんぬん言われるのです。

私が小学生だった頃は、チャットや掲示板の変わりに交換日記を利用していました。私は4人グループでやる交換日記と、親友2人とやる交換日記、ふたつを掛け持ちしていました。4人グループでやっていた交換日記はひたすら好きな男の子の話でした。「今日○○君は誰さんにこんな言葉を掛けた。きっと彼女のことが好きに違いない!」とか、「きっと思いを伝えればわかってもらえるから告白しなよ!!」とか。もうひとつ、親友とやっていた日記はひたすら本音トーク。「○○ちゃんは私と友達やのに他の子と仲良くして私は放ったらかしやった。ツラかった。」とか。

私は毎日日記が回ってくるのを楽しみにして、自分が書く番は一日中部屋に篭って書いている子供でした。クラスではできない話。この日記の中のみで行われるやりとりが、特別で、日記の中に書かれている内容が、私と、友達の本当の気持ちで、友情を実感できるものだと感じていたからです。

逆に、皆が本音をぶつけ合う分、交換日記で泣かされたこともあります。文字で本音をぶつけ合って、文字で喧嘩をすることになる。それで人間なんか信じられない!学校になんか行きたくない!!と思ったことも何度もあります。

文字だけでは収集がつかなくなって、結局話し合いで仲直りしたり、逆に、中学に入ってクラスが別れた途端、これまで親友だと思っていたのが夢だったのかのように付き合いがなくなった友達もいます。交換日記をしている時はあだ名で呼び合っていたのに、クラスが別れた途端、「○○さん」ってよそよそしく呼ぶようになったり…。

でも私は、それを繰り返しながら、人とのつき合い方を学んできたのです。いつも一緒にいることが友達ではなく、トイレに一緒に行く子が友達ではないのです。いかに心地よくその子と時を過ごせるか、それを理解したのは私は高校に入ってからです。交換日記が友情のすべてだと思っていた頃からその結論にたどり着くまでは長い時間を要しました。

今回の事件、インターネットのチャットでも、交換日記でも、手紙でも、媒体こそ違えど、文字で気持ちを伝えるということ自体は変わっていないと思うのです。だって相手の顔が見えているもの。その友達を捨てるか、それとも話し合って仲直りするか、インターネットよりも、そこのコミュニケーション力に問題があると思うのですよ。確かにインターネットやゲームが普及したことで人々のコミュニケーション能力が低下していることは否めないと思いはするのですが。


嶋子 |MAILHomePage

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