★悠悠自適な日記☆
DiaryINDEX|past|will
例えばプロの落語家さんと大学のサークル出身で何年も落語の研究をしている、いわゆる素人さんがいたとします。素人さんの方はとても熱心に落語の勉強をしていて、プロにも劣らない才能の持ち主だと言われています。定期的に公民館での公演も行っています。
ところが、いざプロの落語家さんと並んで大きな舞台に上がるとその差は歴然。お客さんは全く笑ってくれません。彼の落語に落ち度はありません。それなのに、何故彼の落語が受け入れてもらえないのでしょうか?
それは「声」にあります。
いつだったか、新聞でこんな記事を読みました。プロの落語家さんには長年、様々な舞台の上で経験を積んで出来上がった「声」があります。つまり、「プロの声」をしているのです。
ところが、今回のような素人さんが練習を積んできたのは大学の中と公民館。修行を積んだ場所が違えば、そこで形成される声も違ってくるのだそうです。
経験を積んだ舞台が声を作り上げる。新聞の記事が言わんとしていることはこういうことです。
そこで、少し好奇心を持った私は色んな職業に就いている人の声に耳を傾けてみることにしました。ウェイター、ウェイトレス、政治家、営業担当のサラリーマン、女子高生、教師、電話交換手、俳優、漫才師…するとどうでしょう。落語家に限らず、職業によって声の質が全然違うことが分かります。
ファーストフード店の店員はレストランの店員よりもとんがった声で応対をするし、営業サラリーマンはやたらカツゼツが良いけれどお腹からではなく、口先だけで話します。教師も声の大きさには個人差がありますが、息の吸い方と発声パターンがとてもよく似ています。同じ俳優でも舞台で鍛えた声をそのままテレビで使うと敬遠されます。私は一時テレフォンアポインターの仕事をしていたことがありますが、その時もそうでした。普段は気の抜けたような低い声で話す私も、他の人も、いざ電話の受話器を握ると途端アポインター特有のお姉さん声に変身するのです。
職場の雰囲気や人との距離、そういった環境が時間をかけて人の声を作り上げていくみたいです。そしてそこで出来上がった声こそが聞く人を安心させる声なのでしょう。落語家の「声」をしているからこそ、舞台を観に来たお客さんは安心して落語を楽しむ事ができるのです。
だとすると私にはなりたい「声」というものがあります。その道のプロの声になりたいです。
|