Leonna's Anahori Journal
DiaryINDEXpastwill


2009年07月17日(金) 今週買った本

 
しばらく海外へ出ていない。今年中はちょっと微妙だけど、来年はイタリアへ行きたいな、などと考えていた折も折り。

夜、布団に寝そべって「須賀敦子のアッシジと丘の町」という、いつ買ったのかも忘れてしまった写真本(文/写真 岡本太郎)の頁を捲っていて、中の一枚に目が釘付けになった。
それは夕暮れ時、薄ピンク色に染まる空気のなかにたたずむアッシジのサンタ・キアーラ聖堂を写したもので、冬の冷たい空気の下で、まるで空に向かって胸をひろげているように見える。
こ、これは!と愕然とする。どうしたことか、行ったこともないのに懐かしくて、涙が出そうになった。この空気を確かに私は吸ったことがある、と思うのだ。こういうのを「帰りたい風景」と呼ぶのだろうか。

かくして「旅の準備は完了した」という確信(だけ)はしっかりと出来上がった。しかしながら浮き世の枷が、やんわりと袖をつかんで離してくれない状況なのだ。
そんなこともあってか、今週の購入本は「伊太利へ伊太利へ草木もなびく(たまに英国、仏蘭西へもなびく)」というようなラインナップになってしまった。
 
 
 「地図のない道」 須賀敦子(新潮文庫)
 「須賀敦子のローマ」 文/写真 大竹昭子(河出書房新社)
 「霧の聖マリ ある生涯の七つの場所1」 辻邦生(中公文庫)
 「神々の愛でし海 ある生涯の七つの場所7」 辻邦生(中公文庫)
 「日の名残り」 カズオ・イシグロ(ハヤカワepi文庫)
 「知の編集工学」 松岡正剛(朝日文庫)
 
 
「地図のない道」と「須賀敦子のローマ」はamazonで注文。カチッとクリックしてサッ!と送ってもらった。辻邦生の二冊はもう新本では手に入らない。amazonのユーズドで。「霧の聖マリ」は昔、父の書棚に箱入りの単行本があった。この頃になって、父と、辻邦生についてただのひと言も話さなかったことを、悔やんだり不思議に思ったりするのだが、要するに私がまだ育っていなかったということなのだろう。今年の後半はこの、ある生涯の七つの場所シリーズを読めると思うだけで幸福感が胸に満ちてくるチマリスである。
 
「日の名残り」と「知の編集工学」は会社帰りに、青山ブックセンター丸ビル店で。カズオ・イシグロも松岡正剛も書籍という形では一冊も読んだことがなかったという事実に我ながら驚きつつ、購入。「知の編集工学」を店頭で立ち読みしているときに、こんなフレーズにぶつかった。
 
 
 “…ワクワクする面白い話というものがもつ特徴は、そこにあらわれる出来事や知識たちが、それぞれ「自分自身に関する知識」のハイパーリンク化をもってそこに出入りしているということなのである。”
 
 
難しくてよくわからない。でもすごく面白そうなのだ。少なくとも「自分自身に関する内部状態のハイパーリンク化」に関しては、購入本(読む以前の本)というのもかなり大きなウェイトを占めている(間違いなく!)と思う。
そういえば須賀敦子にも「本に読まれて」という著作があったな。
唐突に、面白い、ワクワクすると感じるものから離れないでいよう、死ぬまでしがみついていようという決心がドーンと降ってわいた。
 
 



 
 


レオナ |MAILHomePage