Leonna's Anahori Journal
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4月8日。離陸したルフトハンザ機が水平飛行に入った頃。持参のバルト本『彼自身によるロラン・バルト』を取り出してみる。
買った時に気付いていたのだが、この本、冒頭約50頁のつるつるした厚紙部分に古い白黒写真が掲載されており、そのうち最初の20頁が袋とじ(週刊現代かッ)ならぬ頁の下辺だけが繋がった状態になっていた。
まさかフランス綴じの本ってわけでもないだろう。乱丁落丁の類いに違いない。違いないのだけれど、なんとなくすぐに切り離す気になれなくて、そのまま持って出た。飛行機が日本を離れたら頁も切り離すつもりで、それまでは、破れないようにそーっと拡げてのぞき込んだりしていたのだ(それじゃホントに週刊現代だろう!) 前の背もたれについたテーブルを出して、眉毛用の小さな化粧ばさみを取り出し、慎重に頁の下部を切り離して行くと、そこにあらわれるバルトの“記憶の絵”。最愛の母親にしがみつくようにして抱かれる幼少期のバルト。彼の故郷バイヨンヌに存在した、三つの庭をもつ古い家。そこに、窓ごとの鎧戸は優しい、薄いグレーに彩られていた等々の説明がある。
バルトは書いている。過去のうちで私を最も魅了するのは自分の幼年期であると。消えてしまった時間への後悔を感じさせないのは幼年期だけだ、と。この数ヶ月、父の遺品整理で古い写真をしこたま見続けてきた私にとっては非常に興味深いテキストなのだが、いかんせん少々難解(頭悪くて残念)だ。
難解ながらも、しかし何故か、直接心臓に触れられたような気がした数行を、以下にメモしておく。 “これらの写真を前にして私が魅了されているのは、しあわせだった時期へのノスタルジーによってではなく、もっと混濁した何ものかによるのだ。” “私は自分に似ていたためしがない。” “そこに読み取られるために差し出されているのは、下にひそんでいる私の身体である。” “まだ発作的にときおり私の中に存在を示すすべてのもの…”
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