Leonna's Anahori Journal
DiaryINDEX|past|will
遺品整理などというと、薄暗い書斎で、全集本や古い歌集、懐中時計や硯箱をまえに黙り込んだまま幼い頃の思い出に耽る美人姉妹の図、などというのが浮かんできそうだが(きませんか?くるでしょう!)、現実は、まったく、全然、これっぽっちも、そうではないのだ。とにかく、引っぱり出しては分別して捨てる、ほこりや汚れと戦いながら、捨てて捨てて捨てまくるのである。
たとえば、冷蔵庫ひとつ捨てるにもリサイクル法に照らして、正しい方法で正しい処理料をお支払いし、然るべき場所へ持ち込まなければならない。これだけでも十分面倒くさいのだが、その前段階として、まず冷蔵庫の中身を全部出して捨てなければならず、これがとにかく地味で細かくて面倒なことこの上ないのだ。
使いかけの醤油、味噌、ソース、ドレッシング、マヨネーズ等々の調味料の中味を捨てて、洗った容器はガラス、プラスチック類、缶などに分別して捨てなければならない。一事が万事こんなふうであるから、あの懐かしい父のオーバーコート(内ポケットのところに刺繍でネームが入っている)も、お誕生日にあげたセーター(奮発した)も何も、懐かしんでいるヒマはない、とにかくゴミとして分別。
また、困ってしまうのが写真や手紙の類で、整理を始めた初期段階ではついつい座り込んでは見入って(読みふけって)しまい、アチャーまたやっちゃったーてなことになる。しかし、本当に頭を抱えるのはそのあとだ。これらは基本的に紙であるから分別で迷うこともないし、捨て方はしごく簡単なのだが、取捨の選択で迷う。
明治生まれの祖父の貴重な白黒写真から、親類縁者の誰それが一緒に写っている写真、妹の娘(父母にとっては唯一の孫)の成長の記録等々、一体全体、これをあたしに、ど、ど、どうせいっちゅうんじゃあぁぁぁ〜!と喚き出したくなる。 --
そんなグルグル、うんうん(←苦しくて唸っております)の遺品整理の最中に、愛すべき、ひとつのキャラクターが誕生した。その人の名は“トドロキさん”。
まだ作業がほんの初期段階にあった頃、東京からいとこが手伝いに来てくれた。私が「遺品整理って言葉から受けていたイメージと現実が、こんなにかけ離れたものとは思わなかった」と、最初に書いた“書斎で懐中時計”の話をしたところ、いとこも「うん、それでさ押入れの奥から未発表の手書き原稿が出てきたりするんだよね」等と言う。さすが、文学青年。
で、調子に乗った私が「そうそうそう。それで驚いた家族が『ちょっと、すぐに文春の誰それさんに電話して。いい?、誰それさんじゃなきゃ駄目よ。他の人が出ても、このことは話しては駄目!』…かなんか言っちゃってね〜」。さらに、「でさ、その担当だったベテラン編集者が駆けつけてきて、私の顔をみるなり『失礼ですが奥様、このことをもうどなたかに話されましたか…?』って抑えた声できくのよ!キャア〜」
キャア〜じゃないだろう、馬鹿言ってないで手を動かせっつーの! だいたい、未発表とか手書き原稿とかって、どこの、誰の家の話をしているのだ。 --
そのとき(最初に未発表原稿ネタで盛り上がったとき)は、妹は仕事の日で、私といとこだけしかいなかった。その後、妹と二人で片づけをしているとき、私はまったく同じ話を妹にして聞かせることにした。あのね、このまえ**ちゃんが手伝いにきてくれたときの話なんだけど…
で、このとき即興でベテラン編集者に付けた名前が「トドロキさん」というわけなのだ。誰ソレさんじゃあ話し難いし、いまひとつキャラクターが立ち上がってこない。一通り聞き終えた妹はゲラゲラ笑いながらこう言った。「誰なのよ、トドロキさんて!」。「知らない、あたしも知らないけど、とにかく、トドロキさんなのよう」。
その後、トドロキさんは、私たち三人だけしか知らない人気キャラクターとして、遅々として進まぬ遺品整理の時間に明るい笑い声をもたらしてくれている。たとえば、タンスの引出しに大きな茶封筒をみつけたときや、押入の奥から見慣れぬ書類鞄が出てきたりしたときには、即、「まさか、ほんとにトドロキさんじゃないだろうね?!」、といった具合。
宝石も有価証券も、もちろん未発表原稿もなにも出てこないけれど、トドロキさんの出現、これは今回の遺品整理におけるちょっとした収穫なのであった。
|