Leonna's Anahori Journal
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2006年01月21日(土) お父さん、帰ろう。

 
真夜中、寝る前に外を確認したときにはヒラとも落ちていなかったのに、朝起きてみるとすでに雪が積もっていた。予報は当たった。

本日、七七日の法要、納骨。昨晩から泊まり込んでくれた妹とふたり、父の遺骨、遺影、白木の位牌、その他諸々の大荷物を手に家を出る。この天候でタクシー会社に電話しても通話中、繋がったところで空車はないだろう。ほかに方法もなく、雪の積もった坂道を徒歩で大通りまで出てバスに乗る。ふたりとも礼服はやめにして、ズボンにセーター、黒いオーバーコートという出で立ち。この際服装にまでかまっていられない。
 
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雪の中、お集り戴いた皆様には申し訳ないが、この雪、娑婆の人間にとっては“悪天候”でも、晴れて仏となった父には相応しいものではなかったかと思われる。冷たく、静かで、美しかった。納骨の際、雪まじりの風を身に受けながらお経をあげてくださったご住職の「忘れられない日になりますね」という言葉が優しかった。

納骨が済んで、皆で会食。まず赤ワインで乾杯する。赤ワイン。こういうときに、これ以上相応しい飲み物があるだろうか。なぜか“命の水”などというキザな言葉が衒いもなく浮かぶ。正直、少し飲まなけりゃ、やってられない気分。なかんずく、赤ワイン。ぺしゃんこになりそうな私をふくらませてくれい。
 
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夜。電車に揺られて帰宅。駅に着いてもまだ雪は降り続いていた。習慣に従い、ベーカリーカフェでコーヒーを飲みながら読書。傍らの紙袋には父の位牌が入っている。遺骨は墓に納めた。いま、父の魂はこの位牌に入っているらしい。墓や骨そのものよりも、位牌というのは大切なものだと聞かされたことがある。

昨晩、妹には母の位牌を持ってきてもらった。父が四十九日間の旅を終えて正式に仏となるまで、その白木の仮位牌は、すでに仏となっている母の位牌と一緒にすることが出来なかったのだが、これでやっと両親の位牌を並べて置くことができるようになったわけだ。

しかし、そのふたつの木片、それが本当に私の両親なのだろうか。あまりにも小さい。あまりにも軽いではないか。こういう、考えてもしようのないことを考えるのは疲れているからなんだろう。ベーカリーカフェの椅子から立ち上がるのが億劫でしようがない。思えば父も母も、生前、今の私の住まいを訪れたことはなかった。
 
さてさて。そろそろ帰るとしましょうか、お父さん。これ以上遅くなると、タクシーがあの坂道を上がれなくなるかもしれません。お母さんは、昨晩、トモコちゃんが連れて来てくれて、一足早く着いているんです。私の家、とても静かな良いところなんですよ。
 
 
タクシーの運転手は「お客さんを降ろしたら今日はもうまっすぐ帰るんです」と言いながら、細い坂道をそろそろと下って、上った。
とにかく今日は早く休むとしよう。(そうして明日は好きなだけ寝ていよう)
 
 
 
 
  


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