Leonna's Anahori Journal
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2005年01月29日(土) |
週末の夜(最新バージョン) |
夕方。久々イ・ズーと日比谷で会う。 この度はなんと仕事関係の打合わせ。なので、喫茶店のコーヒー代は会社持ちだ。レジで領収証切ってもらう。イ・ズーと知り合ってはや四半世紀、会社のお金で彼女とコーヒー飲んだのはこれが初めてだ。
打合わせのあとは西銀座で焼き鳥(こちらは自費)。 ワインを飲みながら延々飼い猫の話など拝聴する。彼女の家には二匹の兄弟猫がいて、この子たちは揃って二十歳という高齢。それでここ数年の彼女は二匹の獣医代を稼ぐために日々働いているような状態だという。
と、こう書くと寝たきり老猫とか闘病とか生活苦みたいな話だと思われそうだが、そうではなくて、話題の中心は彼女がいかに獣医さんで我がまま言って困らせてるかとか、そういう話。なにしろ彼女は入院中の愛猫の見舞いに行った際、看護婦さんから「もう来ないでください」とまで言われたらしいのだ。
ま、詳しくきくと、看護婦さんがそういうことを言うのもむべなるかな、と思うのだが、しかし、イ・ズーばかりではなく彼女と同じ待合室にいる他の飼い主さんだって似たり寄ったりみたいだ。そしてそういう飼い主同士が、同病相哀れんでみたり、ときに、人の振り見てわが振り直そうとしてみたり…。聞けば聞くほど、獣医さんが“大変な仕事”だと言われるのは対動物の話ではなく対飼い主なのだということが、よぉーくわかったのだった。 --
土曜の夜に、誰に気兼ねすることなく外で友だちと焼き鳥を食べている。これは別に自由の謳歌などと大げさにいうほどのことではなくて、当たり前のことだろう(だってもういい加減大人なんだから)。けれども私はうれしかった。だって、自由に外食できるだけでなく、もう夕飯の後片付けとか食事当番とかTVの観過ぎとか夜更かしとか、あれやこれや、ドメスティックとしか言いようのない些細なことで言い争いをしなくてすむのだ。
私はイ・ズーにむかってしみじみ言った。「憎からず思っている男(憎からず思えるから結婚したのだ)と、何が悲しゅうてあんなくだらないことで目くじらたてて喧嘩しなけりゃならないの。あんな悲しいことってないわよ。でも、もうそれ、しなくてすむんだから、これはきっと良いことなんだと思う」。唐突に、なにか、ひどく身軽になったような気がした。 --
店を出て銀座一丁目でイ・ズーと別れ、有楽町までくると、東京国際フォーラムにはまだ電気が灯っていて、一階の入口から中へ人が吸い込まれて行く。夜11時近い時間に国際フォーラムの中を通り抜けられるとは知らなかった。私も中へ入ってみる。
ラファエル・ヴィニオリ設計の鉄とガラスの船。夜の中にぽっかりと出現した巨大な空間。その中にいると私はどんどんどんどん軽くなって、もうほとんど空中に浮かんでしまいそうに感じる。私がこんなに軽いのは、もちろんワインに酔っているとかそういうことではなくて、ここの天井があまりにも高いからだろう。心地よさとかすかな違和感を抱きながら、フワフワと東京駅の地下ホームまで歩いて、電車に乗って帰った。
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