Leonna's Anahori Journal
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十五分くらい歩いたところに、もうひとつ大きな公園があるというのでコーヒー飲みに行くついでに出かけてみることにした。
ところが、すっかり朝寝のクセがついてしまっているものだから、早いのだ、暮れるのが。昼頃起きてゴソゴソモタモタしていると、すぐに日は傾いて、みる間に西の空がオレンジ色を帯び始める。
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その公園は、市の境を流れる大きな川のそばにあるので、ずっと、川を見下ろすようなロケーションにあるのだと思いこんでいた。ところが実際に行ってみると、けっこう深い緑に囲まれた場所で、視界が閉ざされているせいか、中はすでにちょっと入って行くのがはばかられるような薄暗さだ。 そこで、入口から道路へ引き返して、公園の外周に沿って川のほとりまで続く道を下ってみることにした。かなり遅くなってしまったけれど、今ならまだ堤防の上から夕焼けと、もしかしたら富士山(のシルエット)位は見られるかもしれない。
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坂の両側はやはり鬱蒼とした樹木で、ときたま私を追い越していく自動車は皆ライトを点けている。後にも先にも、歩いているのは私ひとりだ。大晦日に降った雪がところどころに凍り付いて残っているのをよけながら、とにかく坂を下り、川岸に沿って続くアスファルト道路へ出た。
その道路の端に立つと、川面まで、かなりの幅にわたって緩い傾斜のついたコンクリートの斜面が広がっていた。それは、一体どういう意味があるのかと首をひねりたくなるような実に微妙な傾斜だった。もしつまずいて転んだりしたら、ゆっくりズルズルと斜面を滑り落ち、そんな馬鹿なと思っている間に水に引き込まれそうな、そんなビミョーな斜度。はっきり言って恐い(というより気味が悪い)。
しかも、川は完全に流れるのを忘れた状態で、足下の緩いコンクリートの斜面の先に、まるで湖のように広がっている。そして、そのさざ波ひとつない静かな水面を、夕焼けの最後の光が、オレンジや藍色、水色や淡紅色の縞模様に染めている。 富士山は向こう岸のそのまた彼方に、黒い小さな台形のシルエットになって見えている。小さなその台形には、小さなビルの長方形のシルエットがピッタリ寄りそって、富士山鑑賞の邪魔をしていた。
しかし、それにしても。一体此処はどこなのだ。 なんとも人工的な感じのするその景色は、以前TVで観た邦画のワンシーン(コンピュータ処理を施してある)にとてもよく似ている。「黄昏は逢魔がとき」などというけれど、美しいというよりは何やらまがまがしい。
呆然と道ばたに起つ私のうしろを時たま通り過ぎる自動車も気になった。なぜか皆、徐行しているように思われてならない。こんなところにひとりでいて、新年早々つまらないことに巻き込まれたりしてはかなわないので、急いで今来た道を戻って、駅へ出るバスに乗った。
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駅前の珈琲店へ行ったが、間に合わなかった。お正月なので早仕舞いなのだった。それでは、と、パンを買いがてらベーカリーカフェへ向かったが、その途中でふらふらと書店に入って、ふらふらと文庫本を買ってしまった。 酉年最初の購入本。 「尾崎翠集成」(上・下) 中野翠/編(ちくま文庫) 「わが母の記」 井上靖(講談社文芸文庫) 「噂の娘」 金井美恵子(講談社文庫)
ずっと、周到に避け続けてきた尾崎翠を買ってしまったのは、あの不思議な景色をみたことと何か関係があるのだろうか。
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