Leonna's Anahori Journal
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2004年06月25日(金) |
Journal for people |
きのう一昨日と、二晩続けて洋服を着たまま眠ってしまった。
帰宅して洗濯機を回し、夕飯を作って、食べて、しばらく食卓の椅子で録画したサッカーの試合など眺めているうちにたまらなく眠たくなり、三十分だけ横になってから後片付けをしようと思った。薄くて柔らかい壁に突き当たったような、ソフトな行き止まり感。これ以上は動けない。無理したら、きっとまた頭が痛くなる。
ベッドに横になるとスーッと吸い込まれるように眠った。で、目が覚めてみると夜中の二時半。一昨日は化粧すら落としていない状態だったので、パジャマに着替えて顔を洗い、歯を磨いてから寝直した。きのうは洗顔済み、部屋着という状態だったので、歯だけ磨いて、目覚ましを早めにセットして寝た。翌朝起きてから、シャワー、洗髪、台所の洗い物を片付ける。
それでも、体の言うことを最優先に聞いて、あまり時間を気にせず必要な事から片付けていけば、それなりに生活は回っていくものだ。早起きが何より苦手な私でもちゃんと朝シャンして、紅茶とヨーグルトを食べて出勤した。台所の洗い物が半日遅れたって、特に命に別条はない。がつがつと追いかけさえしなければ、むしろ時間は静かにゆっくりと流れるものなのかもしれない。
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夜。まだ、やりたいことはたくさんあるけれど今日はもうこれまでということにして、白ワインのソーダ割りを作る。そうして、高木正勝のCD、"Journal for people"をかけながら、足裏マッサージをする。冷房でだるくなった足にマッサージオイルを塗ってさすってやる。
"Journal for people"を聴いていて私が思い起こすのは、“Secret life of plants"というスティービー・ワンダーの古いアルバムタイトルだ。頭に浮かぶのはアルバムの音ではなく、あくまでタイトル。『植物たちの隠された生活』という。
"Journal for people"を聴く限りでは、どうも高木正勝の音楽は通常の人間の生活コードと少しずれたところで鳴っている音、という気がしてならない。人間の生活というよりも、まるで、シダや苔類のような密やかな生活を送る植物たちの世界に流れている音、みたいな。
或る植物たちにとっては普通に聴こえている音や音楽。でもそれは通常人間の耳では聴くことが出来ない。その出来ないはずのことをやってみた、植物界の音楽を人間にも聴こえるように音楽家としての自分の脳みそを通して変換してみせたというような。そんな雰囲気が濃厚に漂っている。高木正勝の音楽には。
だから、彼の音楽には通常の人間の言葉というものが存在しない。いわゆる「怒り」とか「悲しみ」とか「歓び」とか、そういう半ばパターン化された人間の感情に相対する音というものがない。
それから、もうひとつ。高木正勝の音楽は聞く側に沈静化、内面の静けさというものを求めてくる。というより、沈静化していないことには上手く聴こえてこないし、楽しめないように出来ているのだ。
この高木正勝の音楽の求めに応じて(アタマがではなく身体が、応じて)、これまでなかなか作り出す事のできなかった静かな時間を持つことができるというのは、うれしいことだ。
シダ類や苔類の世界の言葉(というのは私の勝手な思い込みであるけれど)に耳を傾けながら、つめたく冷えたシャルドネのソーダ割りを飲むと、時間の流れや密度がそれまでと、まるで変わってしまう。逸脱する歓び。
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