Leonna's Anahori Journal
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2003年09月05日(金) 隠し事

きのうの続き。

パレスティナ問題に関しては、動くはずの国際社会がちっとも動かない(もしくは機能しない)。なぜか。

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理由は、イスラエル建国に際してたくさんお金を出したのが米国の政界、財界、メディア業界を牛耳っているユダヤ系の大金持ちだから。よって米国は“内政上の理由”から徹底的にイスラエルの肩を持つ。武器、兵器、軍事費をふんだんに供与する。 ※参考リンク

エドワード・サイード『戦争とプロパガンダ』によれば“1967年の第三次中東戦争以降、920億ドルにも達する援助がなんの疑いもなく米国の納税者からユダヤ人国家へと行われてきた”。

援助の一例として、ノーム・チョムスキー『メディア・コントロール』にはこういうことが書かれている。

2000年10月、占領下のパレスティナ人たちの一斉蜂起が始まった直後からイスラエルによるミサイル攻撃が始まった。蜂起といったってパレスティナ人民には軍隊はおろかまともな武器さえないのだ(だから彼らは石を投げる)。そういう非武装地帯へのミサイル攻撃。

このときこの残虐行為に対してクリントン大統領がとった対応は“更に追加の軍用ヘリをイスラエルに送る”というものだった。(しかもご丁寧に、前月に送ったヘリのスペア部品まで一緒に送ったという)

パレスティナ問題については比較的穏やかだったといわれるクリントンでさえもがこうなのだ。なぜ、こんなことがまかりとおるのか。そしてなぜこういった暴虐行為がきちんと報道されないのか。この件に関しては、先の文章に出てくる“お金持ち”の職業に注目してみてほしい。

「(メディアは)報道できなかったのではない。報道するのを拒んだのだ」とチョムスキーは書いている。メディアは完全に事情を知っていながら、このことを全く報道しないという形で政府に協力したのだ、と。

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しかし、こういう残虐行為に対して国際社会だって決して黙っていたわけではない。さらに『メディア・コントロール』に書かれている、おおきな隠し事について書いておく。

前述のミサイル攻撃からおよそ二ヶ月後の12月14日、米国は暴力削減をチェックする国際監視団の派遣を求める安保理決議に拒否権を行使した。決議案はただちに国連総会に持ち込まれたが、そこで米国とイスラエルの反対にあい、結局は消滅してしまった。

安保理が取り上げたのはジュネーブ条約違反の問題で、ジュネーブ条約というのは第二次大戦後、ナチスの残虐行為を犯罪行為とする合意をとりつけるために締結されたもの。このジュネーブ第四条約に従えば、米国とイスラエルがパレスティナ(占領地域)で行っていることはほぼすべてが、完全に禁止されている行為なのだ。(占領地への入植も同じ)

その決議の採択に関して、占領地への入植に資金を提供するなど全面的に支援している米国が棄権するというのは、実質的には国際法や国連決議を無効にしているのと同じことになってしまう。

さらに一年後の2001年12月5日、欧州連合の全加盟国を含む会議で、イスラエルが占領している地域へのジュネーブ条約の適用と入植の違法性が再確認された。(当たり前です)
決議はイスラエルに国際法を守るように要求した。が、米国(イスラエルと並ぶ当事国)はこの会議をボイコット。またしても会議は、実質的には無効にされてしまった。

…とにかく、都合の悪いことは「おら知らね」なのだ。京都議定書(環境会議)くらいで驚いていてはイケナイ。しかもチョムスキーによれば、これらの棄権やボイコットに関して米国内ではまったく報道されていないという。

こういう犯罪的な隠し事がなされているうえさらに、イスラエルでも米国でも莫大な費用を投じたプロパガンダ(政治的宣伝)が行われている。
その結果、イスラエルこそがパレスティナ人の暴力とテロによる無実の犠牲者であり、アラブ人とムスリムはただユダヤ人に対する不合理な憎しみの為だけにイスラエルと衝突しているのだ、ということにされてしまう。
(現実にはパレスティナは“殲滅される寸前”だというのに)

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ここから先は、蛇足。

米国だけではなく、こと中東問題に関しては日本も似たり寄ったりだと私は感じている。特にイラク攻撃以降ははっきりとそう思っている。だいたい一々本当のことを包み隠さず報じていたのでは、とてもではないが“黙って米国について行く”などという政権が維持できるはずがない。

こういう種類の隠し事が、そうとははっきりわからぬ形で、日本という国(とそこに住む国民の心)を歪めているのは間違いないのではないだろうか。世の中が悪くなる、奇怪な事件が増えることの遠因はこういうところにあるんじゃないかと、そう私は思っているのだが。

ひとの生き死に、巡り巡って地球の将来に関わることについては目隠しをされながら、美味しいものやきれいな洋服に囲まれて、それが幸せだと思いこまされながら生きることの矛盾が、もうすでにアチコチで奇怪な形で噴出し初めているのではないだろうか?

だとすれば戦争とはまた別の意味で、とてもとても不幸なコトデス。

 
 
 


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