Leonna's Anahori Journal
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オリジナル・ラヴ『踊る太陽』ツアーで田島貴男がステージ上で初めて試みた演出について書く。
(ネタバレになるため7月5日のジャーナルには書かずにおいた部分です)
-- 田島貴男が試みたのは、ポエトリーリーディング(詩の朗読)。 読んだのは自作曲、『悪い種』の歌詞。 抑揚と緩急をつけて、朗々と、あの声で。なかなか堂に入った朗読だった。 同感しないもの敵だって 賛成しないもの敵だって 価値がないから踏みつけて 踏まれてもまだ生きる種 悪い種 おれは 悪い種
…私のなかに或る連想がおこり、波紋のようにひろがって行く。
飛んで墜ちて墜ちて飛んで舞い上がって吹き飛ばされ しがみつく杭はどこにもないさ 燃えて燃えて消えて燃えてまたもういちど幾たびでも 墓の中からつよく飛び上がれ! 幾たびでも、墓の中から。パレスティナ。アフガニスタン。それから… 墓石の摩天楼を駆け抜け逃げてゆけ 涙の雨 試す神 黒雲のドーム 雷 エコーエコーエコーエコー 祈り届け ヒロシマ。ナガサキ。ニューヨーク。それから、まだ、それから… 芽を出せ悪い種 灰に埋もれて 暗い土の中深く根をのばせ 深く深く深く深く深く深く いつか実を結べ -- 『悪い種』のあとにもうひとつ、世界的なパントマイマーで振り付師のリンゼイ・ケンプのワークショップで行われている実習テキストの朗読があった。これはたった今自分の人生が突然終わると仮定し、それをイメージする実習のためのテキスト。突然の、理不尽な死。そして再生。メメント・モリ。
ケンプのワークショップではないが、まったく別の場所で私もこの実習を体験したことがある。そのとき私は、擬似的死をうまく想像、体験することが出来なかった。それは、出来るわけがないという抵抗感が最後まで消えなかったからで、その思いは間近で母の死を見た今も変わっていない。
しかし、なぜいま田島が、このテキストを(『悪い種』の歌詞に続いて)読むのか、なぜメメント・モリなのか、その意図と気持ちは理解できたと思っている。演出は成功した、と、私は思う。
-- ところで、田島貴男は(実習は未知であるが)ケンプの来日ステージは観たことがあると言っていた。リンゼイ・ケンプ・カンパニーの初来日公演、『真夏の夜の夢』を。そうか。 実はまったく同じそのステージを、私も観ている。 1986年の7月。五反田の簡易保険ホールで。
インクレディブル・オーランドーという全盲の役者がタイターニアを演じて見事だった。チェンジリングを演じた類い希なる美青年フランソワは、ケンプがベジャールバレエ団から盗んできた男の子。そして当のケンプ本人はすでに人間の域を脱して、妖精(もしくは小悪魔)的な生き物になってしまっているように見えた。
ケンプはデヴィッド・ボウイやケイト・ブッシュの先生として有名だったから、きっとあの公演にはほかにも有名無名、多くのロックファンが駆けつけていたのに違いない。
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