Leonna's Anahori Journal
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2003年06月26日(木) 他人の本棚

チョムスキーとサイードについて書いた5月4日のジャーナルで、松岡正剛の千夜千冊というサイト(第七百三十八夜)にリンクを張った。

そこにも書いてあったが、その昔、七十年代の半ば、松岡正剛といえば工作舎のセイゴーであり雑誌『遊』のセイゴーであった。今は九州で定型詩をやっている叔母が当時横浜にいて、その叔母の本棚にも何冊か『遊』があったのを覚えている。たしかタオ(道教)や神道、身体・気象・言語などを特集した号だったと思う。

あるときその家で叔母とブンガクの話をしていたとき、突然叔母が「ねえ、あなたこの人どう思う」と言って『遊』に掲載された松岡正剛の写真(プロフィール)を私の目の前に差し出した。叔母曰く「あたしは、なかなか見所があると思うんだけどな。それにこういう立派な顔をした日本人、いまなかなか居ないわよ」。

そのころのセイゴーさんは長く伸ばした髪を束髪にして、丸眼鏡をかけていた。あるいは鼻の下にうっすらとヒゲをたくわえていたかもしれない。
それで、その写真(プロフィール)をみた私は即座に「なんか思想犯みたいな顔した人だ」と思ったのだけど、そのままを口にするのもためらわれ、「うーん、立派かなあ…。そうかなあ、そうかもしれないなぁ」などと歯切れの悪い返事をしたことを覚えている。

それでも工作舎という、ちょっと謎めいていてアカデミックな匂いのする本屋さんには惹かれるものがあって、ライアル・ワトソン『生命潮流』や草間弥生『マンハッタン自殺未遂常習犯』など何冊かの本を買った。
ちなみにその当時、チョムスキーは生成文法論ですでに世界的に有名な言語学者であり、いくらアカデミックなものに憧れたところで、私のようなものには一生縁のない“象牙の塔”の人だと思っていた。

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そのセイゴーさんのサイトを訪れ、あれから実に二十年ぶりくらいでセイゴーさんの書かれたものを読んでみると、意外にミーハーだったことがわかって面白かった。

町田康(町蔵)が手放しで好きというのも可笑しいし、江國香織に対するほのかな思いも読んでいて微笑ましい。

なんだー、早く言ってよー。そうしたらあの頃、新宿ロフトの暗闇ですれ違っていたかもしれないのね、私とセイゴーさんは。なんだー、なんだなんだ、こんな思想犯あるもんかー(笑)

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さて。その松岡正剛の千夜千冊でチョムスキーがとりあげられているのをみて、私は最近のチョムスキーの(言語学者としてではない)ジャーナリスティックな言動を知ったわけだが、それではサイードはどうなのだろう。そう思って検索をかけてみたのだが残念ながら(千夜千冊には)該当がなかった。

それでもあきらめきれずに、おかしいなあ、松岡正剛がサイードを読んでいないハズがないんだがなあ、と思いながらなおもサイト内をうろうろしていると…あった!やっぱりありましたよ。ちゃんと本棚に、エドワード・W・サイード『パレスチナとは何か』が。

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いま私は、何も知らないところから初めて、次第にパレスチナ問題の歴史と背景について知りつつあるところであり、正剛さんのようなひとにはぜひ手引きとなるような書評並びに関連図書の紹介をしてほしいと思っているところ。

こういうとき(ロードマップの実現と隔離壁建設という二律背反にテロの応酬という予断を許さぬ状況)だからこそ、ぜひ千夜千冊でサイード本と関連書籍について取り上げてほしいと、そう思っているのですが。(メールしてみるか)




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